ショートショートの披露場

短い小説を書いています

秩序ある世界

 ようやく念願叶って、私は地球に来ることができた。幼い頃に立体映写機から流れてきた地球の特集を見て、行ってみたいと憧れを抱いた。美しい自然も去ることながら、”ニンゲン”と呼ばれる種の営みに心惹かれたのだ。
 お腹を空かせている者がいれば、食べものを分け与える者がいる。食べものを増やす方法を考えたり、それを実行する者もいて、自分に足りないものを誰かが補う形で互いに支え合っている姿に感動した。
 できればもっと若いうちに移住して、生涯地球で暮らせたらと思ったが、この老体ではもう移住の許可は下りないだろう。せめて観光だけでもと、資金を集め、現地の言語や文化をある程度学び、諸々の手続きを済ませる間にだいぶ時間が経ってしまった。
 確か、”ニンゲン”は赤ん坊と年寄りが丁重に扱われるらしい。生まれて間もないものが大切にされるのはどの種も同じだが、年寄りもとは珍しい。数も多いという話だったから、目立たないはずと考え、私は年寄りに擬態し、地球に降り立った。
 1秒でも惜しいので、私は駆け足で街に繰り出す。
 見渡す限り、というより、あまり見晴らしはよくないのだが、ガラス張りの建物、看板、商店、人、車、そして、人。なるほど、この辺りは都市部らしい。
 しばらく街を歩いていると、溌剌とした男に話しかけられた。
「そこのお父さん。最近運動してますか?」
「ま、まあ、夕方にウォーキングをするようにはしていますが」
「ウォーキングですか。それで脂肪は落ちてますか?1人で黙々と歩いて楽しいですか?」
「いや、まあ……。それがなにか?」
「実は私、スポーツクラブの経営をやってましてね。球技でも格闘技でもいろいろあるんですよ。試しに入会してみませんか?」
「お恥ずかしいですが、スポーツは苦手で……」
「初心者の方も大歓迎ですよ。みなさん、仲間とワイワイやっているうちに楽しいと仰っていただけています」
「そ、そうなんですか」
「うちはスポーツ用品の販売もやっているので、もしアレでしたら、始めるのに必要な道具を買われるだけでも結構ですよ」
 とても押しが強い。その圧に負けて、私はついていってみることにした。
 だが、彼は興奮しているのか、焦っているのか、歩くのが速い。どんどん離れてしまう。
「す、すみません。もう少しゆっくり歩いてもらえませんか」
「えっ?ああ、すいませんね。あなたに早くスポーツを楽しんでもらいたくて、つい」
 そうは言ったものの、あまり歩幅を合わせてくれようとはせず、どんどん先へ進み、時々こちらを振り返っては立ち止まって、追いついたらまたスタスタと歩いていってしまう。それを繰り返すうちに男はイライラを募らせているように感じた。
 歩くのにだんだん疲れてきて、ずいぶん人気のないところまで来てしまっていることに今更気づいた。もうどれくらい歩いたのだろう。
「まだ着きませんか?」
「もうちょっとですよ。ほら、あの白いビルを曲がるとすぐです」
「ここまで来るだけでももうヘトヘトなので、数分でも結構なので休憩しませんか?」
「チッ。わかりました。では、そこの自販機で何か飲みましょう」
 今、この男は舌打ちをしたのか。確か舌打ちとは怒りを表す行動だったはず。年寄りへの態度としてよくないのではないか。
「なに飲みます?」
「冷たいお茶を」
 男は財布からカードを取り出し、カードを自販機にかざすと中からお茶が2本出てきた。そのうちの1本を私に差し出す。お茶を受け取った私は代金を払おうと財布を広げた。
「いくらですか?」
「これくらいは構いませんよ。それに硬貨では自販機で買い物はできませんし」
「え、そうなんですか?」
「数十年前はできましたが、今はカード決済か通信端末で決済する自販機ばかりです。現金対応してる自販機って今あるかな」
 地球はいろんなものが変わったのだな。モノだけでなく価値観も変わってしまったとしたら、年寄りもあまり大切には扱われなくなったのだろうか。
 私がちびちびとお茶を口にしていると、男が急かしてきた。
「うちの店は現金でも対応してますからご心配なく。さっ!早く行きましょう!」
「ちょ、ちょっと待ってください。まだ全然休めていませんよ」
 すると男は我慢が限界に達したのか、怒りを露にした。
「あーもーまどろっこしいな!もういいや、ここで処理しよう」
 処理?この男は何を言っているのだろうか。だが、こちらに殺意を向けていることは確かだった。
「どういうことですか?私をどうしようというのです」
「決まってるだろ。生け捕りにして裏社会の奴らに売るんだよ。ちょうど金に困ってたところに、カモがネギ背負ってきやがったんだからな」
「そんな。私はお年寄りですよ。どうしてそんな非道いことができるんです」
「……?お前、何歳だよ」
「えっ、こ、今年で76になりますけど」
「じゃあやっぱお前犯罪者じゃん。買い物の仕方だけじゃなくて、国家維持法も知らないとか、完全にヤバい奴じゃん」
 ”コッカイジホウ”?そんな法律があったのか。いや、新しくできたのだろうか。知らなかったとはいえ、違反してしまっている以上追われることになるのか。だが、この者に捕まるよりは……。
 窮していると、視界の端に巡回中らしき警官を捉えた。
 私が声を上げて呼び止めると、こちらへ駆け寄ってきてくれた。
「どうかされました?」
 すると、男はあたふたし始め、
「い、いや、この人が現金しか持ってなかったみたいで、代わりに俺が買ってあげてたんですよ」
 と言って、慌てて逃げていった。
「今の男の話は本当ですか?」
 私は、はいと答えてから、あの男と出会ってからのことを包み隠さずに話した。
 あの男のしたことは誘拐未遂にあたるらしく、すぐに捜査網が敷かれることになった。応援の警官も1人駆けつけて、私もその場で詳しく事情を話すことになった。
「なるほど。それで倉本が応援を要請したわけか」
「はい。この方の処遇も相談したかったので」
 倉本と呼ばれた警官がこちらに目をやったタイミングで、早く打ち明けてしまおうと口を開いた。
「あの、すみません。実は私、ミルトン星から来た者です。地球には観光目的で」
 そう言って変身を解いたが、彼らはあまり驚かなかった。
「なんだ、そうだったんですか。じゃあ、これであとは男の捜索ですね」
「そうだな。行くとするか」
 彼らが去ってしまう前に、私は訊いておきたかったことを質問した。
「あの、コッカイジホウってなんなんですか?」
「え、あなた、国家維持法を知らないんですか!?」
「どうりで。だから年寄りの格好で歩いていたんですね」
「すみません。勉強していた教科書が古かったみたいで」
「過ぎたことは悔やんでも仕方ありません。せっかくの機会ですから、覚えていってください」
 私はメモを用意し、彼らの話に集中した。
「矢部先輩。では、どうぞ」
「俺が説明すんのか。まあいいや。国家維持法は2つのルールに大別できます。1つは、一世帯が持てる総資産額は10億円まで。これは経済格差を是正するために作られました」
「カクサをゼセイ?」
「お金を持っている家庭と持っていない家庭であまりに差が拡がりすぎると、問題がどんどん出てきちゃうんです。治安とかいろんな面で」
「なるほど」
「そしてもう1つは、国民は70〜71歳の間に死ななければならない」
「ええっ!そんな……どうして」
 衝撃を受けた。過去に私が見た美しい”ニンゲン”のすることとは、とても思えなかった。
 子供から大人まで助け合いながら暮らしていた彼らはどこへ行ってしまったのだ。
「理由はいろいろあるでしょうけど、一番大きいのはやっぱり介護問題でしょう」
「カイゴ?」
「1人だと日常生活を送るのも困難な人を世話することです。国維法の制定前は相当な数がいましたからね」
「どうしてそんなに」
「健康な人が増えたからでしょうね。バランスの良い食事や適度な運動をすることで、肉体がどんどん長持ちするようになってしまったんです。政府も国民に健康な生活をするよう呼びかけてましたし」
「おかげでなかなか人が死ななくなってしまったんです。1人で生活できなくても、医師の元、指導を受けながらでも、とにかく本人や周りの人間がどんなに苦しくても命が終わらなかったんです。想像できますかね。自分の身体なのに思うように動かず、誰かにシモの世話をしてもらう辛さ。大好きだった食べものを食べると悲鳴をあげて倒れてしまう身体で生きていなくてはいけない辛さ。そんな苦しむ人のすぐ側で代わってあげたくても代われない人のもどかしさ」
「そんなに深刻だったんですか」
「老人に関係する社会問題は他にもありましたが、それらの中心にあったのは政治家のほとんどが老人だったということですね。それがなによりの問題だったんです」
「どういうことです」
「脳みそは年を取るほど衰え、考える力が低下します。その上、人間は年を取るほど保守的に、つまり新しいものを受け付けなくなります。そういう人たちに権力を握らせると、どうなると思いますか?」
「ど、どうなるんです」
「山積した社会問題については、真剣に取り組んでいるように装うだけで、あとは自分たちの引退後に豪華な生活をする資金集めと自分たちに与する者への報酬を出すことに躍起になっていました」
「な、なんて非道いことをっ!」
「まあ、そこに関しては当時の国民にも非はありますけど」
「でも、そんな状態からどうやって国家維持法を制定できたんです?」
「簡単ですよ。年寄りたちに消えてもらったんです、この世から」
「えっ」
「自分の生まれる前の出来事ですけど、すごかったでしょうねえ」
「そうだな。さながら戦争してる感じだろう」
「と、年寄りとはいえ政治家にそんなこと……できたんですか?」
「当時だからこそできたんでしょうね。元々この国の人間は、自分の頭で考え、判断するということが苦手でした。行動する時はいつも周りを見て動きます。この時代を表すこんな言葉があります。『赤信号みんなで渡れば恐くない』」
「アカシンゴウとは確か、道路の……」
「そうです。青は進めで赤は止まれ。歩道が青なら車道は赤で、車道が青なら歩道は赤なんですが」
「当時の人々は法律なんてまるで気にしていなくて、周りがやっていればそれはやってもいいことだろうから、自分もやろう。周りと違うことをすると不安になるし、やってはいけないことかもしれないからやらないようにしよう。そういう人がほとんどだったんです」
「そこで政治家が何者かに殺害された事件や、介護や闘病を苦に年寄りを殺害した事件を1日に数回、テレビ――立体映写機のことですね――で放映し続けたんです。毎日」
「すると、人々は年寄りが殺されるのは普通だと思い始めたんです。なんだ、別に殺していいのかと。元々煙たがれていたので、抵抗もそんなになかったのかもしれません。それからはもう国中の年寄りが狙われたそうです」
「そ、そんな。私がミルトン星で観た時はもっと、年寄りも大切にされていましたよ」
「それは相当古い映像だったんですね」
「いくらなんでも倫理的に」
「その基準も周りを見て決めていたんです。自分の頭じゃ考えられないから」
「まあ、考えられないように学校で洗脳するようにしたのも年寄り政治家たちですけど」
「せめて政治家だけというわけにはいかなかったんですかね。なにもその辺の年寄りまで」
「そういう意見もあったでしょうけど、当時の判断がベターだったと思いますよ」
「そうそう。下手に例外を作らず、一斉に処分して正解です。老人を生かすってコストかかりすぎますし」
「お前なあ、そういう考えはよくないぞ。自分だっていつか年寄りになるんだから」
「ゴウリテキ、ということですか」
「あくまで、そういう面もあるということです。お気を悪くされたら謝ります。そういった面よりももっと大きな課題があったんです」
「というと?」
「年寄りが多く、それもなかなか死なないとなると組織や集団全体がボロボロになってしまう点です」
「人体に例えると分かりやすいかもしれません。身体に病気が見つかった場合、疾患のある部位を切除したり、薬で対処したりすればまた健康に戻れます。しかし放置すれば悪化してしまう」
「年寄りはこの国のガンだったんですか」
「ものの例えです。それに病気とも言いきれません。細胞も古いものから新しいものへ、定期的に入れ替わります。しかしこの国ではなかなか、人の新陳代謝が起こらなかった」
「世の中は目まぐるしく変化するけど、権力を持つ年寄りはその変化についていけず。かといって、対応できるものに権力を渡すかといえば絶対に譲ろうとはしないし、対応できるように努力もしない」
「国も会社組織も一緒です。その集団の特徴は上にどんな人間がいるかで変化します。その環境に合っていなければ、それに付き合わされるほうはますます不満を溜めていきます」
「この時代って信じられないような文化が結構ありますよね。飲みニケーションとか」
「メールを送る時間に注意しなければいけないというマナー」
サービス残業
「FAX」
「酒の席では上司や接待の相手にお酌」
「本音と建前」
「苦痛信仰」
天下り
年功序列
敬老の日
選挙カー
「謙遜」
「人に迷惑をかけるなという教育」
「……」
「よし勝った」
「勝負してない。……と、まあこういった文化というか因習を年寄りに押しつけられていたこともあって、人々は我慢の限界を迎え、次々に行動していったわけです」
「でも、何も殺すことは」
「いや、そうしたほうがよかったと思いますよ。年寄りたちの失策を裁判所は直接裁けませんし、もしあの時行動していなかったら、年寄りたちは散々国民を奴隷のように扱い、自分たちだけ甘い汁を吸い続けたあげく、何の罰も受けないままあの世へ逃げ切ってしまったでしょう」
「でしょうね。万が一逃げちゃったら、国民の怒りがどこに向くか分かりませんし。それこそ地獄みたいになっていたかも」
「な、なるほど。それは確かに」
「文化というのは結局、人が作り、支えていくものですから。古くて、しかも環境にそぐわない文化も、その文化を支える人がいなくなれば消えていくんです。人と文化は表裏一体。人が死ねば文化は消えますが、人が死ななかったのでずっと悪しき風習が残ってしまっていたんです」
「人を尊重するのに年齢という基準を設け、年寄りは偉いと人々に刷り込み、年寄り以外を虐げる。加害者側が死んでいなくなると、被害者側の中からまた新たに生まれた年寄りが下の者を虐げる。その負の連鎖を断ち切れたから、国家維持法も作ることができたし、世界平和に繋がったんです」
「そういう歴史があったんですね」
「当時の人々が行動していなかったらと思うと、ゾッとしますよ。地球にいる人間全員で共倒れになっていたでしょうし」
「そうだな。感謝しなきゃな」
 そう言って彼らは目を閉じて、胸の前で手を合わせた。その姿からは当時、国のため、自分たちの未来のために闘った人々への尊敬の念も感じられた。
「ずいぶんと長くなってしまいました。我々は男の捜索に向かいますので、これで」
「もう少し若い人間に化けたほうがいいですよ。では、よい旅を」
 走り去る彼らに私は感謝の言葉をかけた。その背中はとても輝いていた。
 ああ、やはり”ニンゲン”というのは美しい種族なのだな。



この物語はフィクションです。