ショートショートの披露場

短い小説を書いています

秩序ある世界

 ようやく念願叶って、私は地球に来ることができた。幼い頃に立体映写機から流れてきた地球の特集を見て、行ってみたいと憧れを抱いた。美しい自然も去ることながら、”ニンゲン”と呼ばれる種の営みに心惹かれたのだ。
 お腹を空かせている者がいれば、食べものを分け与える者がいる。食べものを増やす方法を考えたり、それを実行する者もいて、自分に足りないものを誰かが補う形で互いに支え合っている姿に感動した。
 できればもっと若いうちに移住して、生涯地球で暮らせたらと思ったが、この老体ではもう移住の許可は下りないだろう。せめて観光だけでもと、資金を集め、現地の言語や文化をある程度学び、諸々の手続きを済ませる間にだいぶ時間が経ってしまった。
 確か、”ニンゲン”は赤ん坊と年寄りが丁重に扱われるらしい。生まれて間もないものが大切にされるのはどの種も同じだが、年寄りもとは珍しい。数も多いという話だったから、目立たないはずと考え、私は年寄りに擬態し、地球に降り立った。
 1秒でも惜しいので、私は駆け足で街に繰り出す。
 見渡す限り、というより、あまり見晴らしはよくないのだが、ガラス張りの建物、看板、商店、人、車、そして、人。なるほど、この辺りは都市部らしい。
 しばらく街を歩いていると、溌剌とした男に話しかけられた。
「そこのお父さん。最近運動してますか?」
「ま、まあ、夕方にウォーキングをするようにはしていますが」
「ウォーキングですか。それで脂肪は落ちてますか?1人で黙々と歩いて楽しいですか?」
「いや、まあ……。それがなにか?」
「実は私、スポーツクラブの経営をやってましてね。球技でも格闘技でもいろいろあるんですよ。試しに入会してみませんか?」
「お恥ずかしいですが、スポーツは苦手で……」
「初心者の方も大歓迎ですよ。みなさん、仲間とワイワイやっているうちに楽しいと仰っていただけています」
「そ、そうなんですか」
「うちはスポーツ用品の販売もやっているので、もしアレでしたら、始めるのに必要な道具を買われるだけでも結構ですよ」
 とても押しが強い。その圧に負けて、私はついていってみることにした。
 だが、彼は興奮しているのか、焦っているのか、歩くのが速い。どんどん離れてしまう。
「す、すみません。もう少しゆっくり歩いてもらえませんか」
「えっ?ああ、すいませんね。あなたに早くスポーツを楽しんでもらいたくて、つい」
 そうは言ったものの、あまり歩幅を合わせてくれようとはせず、どんどん先へ進み、時々こちらを振り返っては立ち止まって、追いついたらまたスタスタと歩いていってしまう。それを繰り返すうちに男はイライラを募らせているように感じた。
 歩くのにだんだん疲れてきて、ずいぶん人気のないところまで来てしまっていることに今更気づいた。もうどれくらい歩いたのだろう。
「まだ着きませんか?」
「もうちょっとですよ。ほら、あの白いビルを曲がるとすぐです」
「ここまで来るだけでももうヘトヘトなので、数分でも結構なので休憩しませんか?」
「チッ。わかりました。では、そこの自販機で何か飲みましょう」
 今、この男は舌打ちをしたのか。確か舌打ちとは怒りを表す行動だったはず。年寄りへの態度としてよくないのではないか。
「なに飲みます?」
「冷たいお茶を」
 男は財布からカードを取り出し、カードを自販機にかざすと中からお茶が2本出てきた。そのうちの1本を私に差し出す。お茶を受け取った私は代金を払おうと財布を広げた。
「いくらですか?」
「これくらいは構いませんよ。それに硬貨では自販機で買い物はできませんし」
「え、そうなんですか?」
「数十年前はできましたが、今はカード決済か通信端末で決済する自販機ばかりです。現金対応してる自販機って今あるかな」
 地球はいろんなものが変わったのだな。モノだけでなく価値観も変わってしまったとしたら、年寄りもあまり大切には扱われなくなったのだろうか。
 私がちびちびとお茶を口にしていると、男が急かしてきた。
「うちの店は現金でも対応してますからご心配なく。さっ!早く行きましょう!」
「ちょ、ちょっと待ってください。まだ全然休めていませんよ」
 すると男は我慢が限界に達したのか、怒りを露にした。
「あーもーまどろっこしいな!もういいや、ここで処理しよう」
 処理?この男は何を言っているのだろうか。だが、こちらに殺意を向けていることは確かだった。
「どういうことですか?私をどうしようというのです」
「決まってるだろ。生け捕りにして裏社会の奴らに売るんだよ。ちょうど金に困ってたところに、カモがネギ背負ってきやがったんだからな」
「そんな。私はお年寄りですよ。どうしてそんな非道いことができるんです」
「……?お前、何歳だよ」
「えっ、こ、今年で76になりますけど」
「じゃあやっぱお前犯罪者じゃん。買い物の仕方だけじゃなくて、国家維持法も知らないとか、完全にヤバい奴じゃん」
 ”コッカイジホウ”?そんな法律があったのか。いや、新しくできたのだろうか。知らなかったとはいえ、違反してしまっている以上追われることになるのか。だが、この者に捕まるよりは……。
 窮していると、視界の端に巡回中らしき警官を捉えた。
 私が声を上げて呼び止めると、こちらへ駆け寄ってきてくれた。
「どうかされました?」
 すると、男はあたふたし始め、
「い、いや、この人が現金しか持ってなかったみたいで、代わりに俺が買ってあげてたんですよ」
 と言って、慌てて逃げていった。
「今の男の話は本当ですか?」
 私は、はいと答えてから、あの男と出会ってからのことを包み隠さずに話した。
 あの男のしたことは誘拐未遂にあたるらしく、すぐに捜査網が敷かれることになった。応援の警官も1人駆けつけて、私もその場で詳しく事情を話すことになった。
「なるほど。それで倉本が応援を要請したわけか」
「はい。この方の処遇も相談したかったので」
 倉本と呼ばれた警官がこちらに目をやったタイミングで、早く打ち明けてしまおうと口を開いた。
「あの、すみません。実は私、ミルトン星から来た者です。地球には観光目的で」
 そう言って変身を解いたが、彼らはあまり驚かなかった。
「なんだ、そうだったんですか。じゃあ、これであとは男の捜索ですね」
「そうだな。行くとするか」
 彼らが去ってしまう前に、私は訊いておきたかったことを質問した。
「あの、コッカイジホウってなんなんですか?」
「え、あなた、国家維持法を知らないんですか!?」
「どうりで。だから年寄りの格好で歩いていたんですね」
「すみません。勉強していた教科書が古かったみたいで」
「過ぎたことは悔やんでも仕方ありません。せっかくの機会ですから、覚えていってください」
 私はメモを用意し、彼らの話に集中した。
「矢部先輩。では、どうぞ」
「俺が説明すんのか。まあいいや。国家維持法は2つのルールに大別できます。1つは、一世帯が持てる総資産額は10億円まで。これは経済格差を是正するために作られました」
「カクサをゼセイ?」
「お金を持っている家庭と持っていない家庭であまりに差が拡がりすぎると、問題がどんどん出てきちゃうんです。治安とかいろんな面で」
「なるほど」
「そしてもう1つは、国民は70〜71歳の間に死ななければならない」
「ええっ!そんな……どうして」
 衝撃を受けた。過去に私が見た美しい”ニンゲン”のすることとは、とても思えなかった。
 子供から大人まで助け合いながら暮らしていた彼らはどこへ行ってしまったのだ。
「理由はいろいろあるでしょうけど、一番大きいのはやっぱり介護問題でしょう」
「カイゴ?」
「1人だと日常生活を送るのも困難な人を世話することです。国維法の制定前は相当な数がいましたからね」
「どうしてそんなに」
「健康な人が増えたからでしょうね。バランスの良い食事や適度な運動をすることで、肉体がどんどん長持ちするようになってしまったんです。政府も国民に健康な生活をするよう呼びかけてましたし」
「おかげでなかなか人が死ななくなってしまったんです。1人で生活できなくても、医師の元、指導を受けながらでも、とにかく本人や周りの人間がどんなに苦しくても命が終わらなかったんです。想像できますかね。自分の身体なのに思うように動かず、誰かにシモの世話をしてもらう辛さ。大好きだった食べものを食べると悲鳴をあげて倒れてしまう身体で生きていなくてはいけない辛さ。そんな苦しむ人のすぐ側で代わってあげたくても代われない人のもどかしさ」
「そんなに深刻だったんですか」
「老人に関係する社会問題は他にもありましたが、それらの中心にあったのは政治家のほとんどが老人だったということですね。それがなによりの問題だったんです」
「どういうことです」
「脳みそは年を取るほど衰え、考える力が低下します。その上、人間は年を取るほど保守的に、つまり新しいものを受け付けなくなります。そういう人たちに権力を握らせると、どうなると思いますか?」
「ど、どうなるんです」
「山積した社会問題については、真剣に取り組んでいるように装うだけで、あとは自分たちの引退後に豪華な生活をする資金集めと自分たちに与する者への報酬を出すことに躍起になっていました」
「な、なんて非道いことをっ!」
「まあ、そこに関しては当時の国民にも非はありますけど」
「でも、そんな状態からどうやって国家維持法を制定できたんです?」
「簡単ですよ。年寄りたちに消えてもらったんです、この世から」
「えっ」
「自分の生まれる前の出来事ですけど、すごかったでしょうねえ」
「そうだな。さながら戦争してる感じだろう」
「と、年寄りとはいえ政治家にそんなこと……できたんですか?」
「当時だからこそできたんでしょうね。元々この国の人間は、自分の頭で考え、判断するということが苦手でした。行動する時はいつも周りを見て動きます。この時代を表すこんな言葉があります。『赤信号みんなで渡れば恐くない』」
「アカシンゴウとは確か、道路の……」
「そうです。青は進めで赤は止まれ。歩道が青なら車道は赤で、車道が青なら歩道は赤なんですが」
「当時の人々は法律なんてまるで気にしていなくて、周りがやっていればそれはやってもいいことだろうから、自分もやろう。周りと違うことをすると不安になるし、やってはいけないことかもしれないからやらないようにしよう。そういう人がほとんどだったんです」
「そこで政治家が何者かに殺害された事件や、介護や闘病を苦に年寄りを殺害した事件を1日に数回、テレビ――立体映写機のことですね――で放映し続けたんです。毎日」
「すると、人々は年寄りが殺されるのは普通だと思い始めたんです。なんだ、別に殺していいのかと。元々煙たがれていたので、抵抗もそんなになかったのかもしれません。それからはもう国中の年寄りが狙われたそうです」
「そ、そんな。私がミルトン星で観た時はもっと、年寄りも大切にされていましたよ」
「それは相当古い映像だったんですね」
「いくらなんでも倫理的に」
「その基準も周りを見て決めていたんです。自分の頭じゃ考えられないから」
「まあ、考えられないように学校で洗脳するようにしたのも年寄り政治家たちですけど」
「せめて政治家だけというわけにはいかなかったんですかね。なにもその辺の年寄りまで」
「そういう意見もあったでしょうけど、当時の判断がベターだったと思いますよ」
「そうそう。下手に例外を作らず、一斉に処分して正解です。老人を生かすってコストかかりすぎますし」
「お前なあ、そういう考えはよくないぞ。自分だっていつか年寄りになるんだから」
「ゴウリテキ、ということですか」
「あくまで、そういう面もあるということです。お気を悪くされたら謝ります。そういった面よりももっと大きな課題があったんです」
「というと?」
「年寄りが多く、それもなかなか死なないとなると組織や集団全体がボロボロになってしまう点です」
「人体に例えると分かりやすいかもしれません。身体に病気が見つかった場合、疾患のある部位を切除したり、薬で対処したりすればまた健康に戻れます。しかし放置すれば悪化してしまう」
「年寄りはこの国のガンだったんですか」
「ものの例えです。それに病気とも言いきれません。細胞も古いものから新しいものへ、定期的に入れ替わります。しかしこの国ではなかなか、人の新陳代謝が起こらなかった」
「世の中は目まぐるしく変化するけど、権力を持つ年寄りはその変化についていけず。かといって、対応できるものに権力を渡すかといえば絶対に譲ろうとはしないし、対応できるように努力もしない」
「国も会社組織も一緒です。その集団の特徴は上にどんな人間がいるかで変化します。その環境に合っていなければ、それに付き合わされるほうはますます不満を溜めていきます」
「この時代って信じられないような文化が結構ありますよね。飲みニケーションとか」
「メールを送る時間に注意しなければいけないというマナー」
サービス残業
「FAX」
「酒の席では上司や接待の相手にお酌」
「本音と建前」
「苦痛信仰」
天下り
年功序列
敬老の日
選挙カー
「謙遜」
「人に迷惑をかけるなという教育」
「……」
「よし勝った」
「勝負してない。……と、まあこういった文化というか因習を年寄りに押しつけられていたこともあって、人々は我慢の限界を迎え、次々に行動していったわけです」
「でも、何も殺すことは」
「いや、そうしたほうがよかったと思いますよ。年寄りたちの失策を裁判所は直接裁けませんし、もしあの時行動していなかったら、年寄りたちは散々国民を奴隷のように扱い、自分たちだけ甘い汁を吸い続けたあげく、何の罰も受けないままあの世へ逃げ切ってしまったでしょう」
「でしょうね。万が一逃げちゃったら、国民の怒りがどこに向くか分かりませんし。それこそ地獄みたいになっていたかも」
「な、なるほど。それは確かに」
「文化というのは結局、人が作り、支えていくものですから。古くて、しかも環境にそぐわない文化も、その文化を支える人がいなくなれば消えていくんです。人と文化は表裏一体。人が死ねば文化は消えますが、人が死ななかったのでずっと悪しき風習が残ってしまっていたんです」
「人を尊重するのに年齢という基準を設け、年寄りは偉いと人々に刷り込み、年寄り以外を虐げる。加害者側が死んでいなくなると、被害者側の中からまた新たに生まれた年寄りが下の者を虐げる。その負の連鎖を断ち切れたから、国家維持法も作ることができたし、世界平和に繋がったんです」
「そういう歴史があったんですね」
「当時の人々が行動していなかったらと思うと、ゾッとしますよ。地球にいる人間全員で共倒れになっていたでしょうし」
「そうだな。感謝しなきゃな」
 そう言って彼らは目を閉じて、胸の前で手を合わせた。その姿からは当時、国のため、自分たちの未来のために闘った人々への尊敬の念も感じられた。
「ずいぶんと長くなってしまいました。我々は男の捜索に向かいますので、これで」
「もう少し若い人間に化けたほうがいいですよ。では、よい旅を」
 走り去る彼らに私は感謝の言葉をかけた。その背中はとても輝いていた。
 ああ、やはり”ニンゲン”というのは美しい種族なのだな。



この物語はフィクションです。

サンタクロースの正体

 みんなはまだ気づいていないけれど、ぼくは気づいてしまった。サンタクロースの正体がニンジャだってことに。
 最初は全くふしぎには思わなかった。イブの夜に、世界中の子供たちにプレゼントを配っているおじさんがいるのか。ぼくのところにも来てほしいなって、のんきに浮かれていた。
 でも、友達とかお父さんやお母さん、いろんな人からサンタの話を聞くうちに、サンタクロースって本当は何者なの?と疑問を持つようになった。
 サンタの本拠地はグリーンランドらしいことはネットで検索したらすぐに出てきた。サンタは1人じゃなくていっぱいいるらしいから、みんなで手分けして飛行機とか電車で移動しながらプレゼントを配っているんだろうな。
 SNSとかを見てみると、サンタからプレゼントをもらえた!ありがとう!嬉しい!という投稿がよく出てくる。これ、子供だけじゃなくて大人でももらってる人がいるのかな。ぼくも大人になってもプレゼントほしいな。
 いや、そうじゃなくて、ほしい情報が出てこないな。プレゼントをもらえた報告はこんなにあるのに、そのプレゼントを届けてくれた人の情報がほとんどない。プレゼントを持ってきてくれたサンタと2ショットの写真を撮ってネットにあげてる人がいてもよさそうなのに。
 誰もサンタの配達現場を見ていない。これが、ぼくがサンタを疑い始めたきっかけだ。
 よく考えてみよう。ネットで出てくるサンタ、テレビから流れてくるサンタ、街でサンタのコスプレをしている人。その姿を思い出してほしい。頭頂部に白いボンボンのついた真っ赤な帽子。上も下も赤い服。そして、プレゼントを入れてあるであろう白くて大きな袋を持っている。それにひげだって猫が隠れられるくらいたんまりと生えている。そんな格好の人が家に入ってきたり、家に入ろうとしてたらみんな普通は写真を撮らない?クリスマスの時期ならサンタだろうからって、気にもとめないの?
 もしサンタの正体がニンジャだとしたら、このへんの説明がつく。
 名探偵コナンに出てくる怪盗キッドは、泥棒なのに全身白い服を着ている。その理由は、原作でコナンとキッドが対決した事件で、コナンが推察してそれにキッドが補足する形で明らかにされている。おそらく、サンタはキッドと同じ理由であんな派手な格好をしているんだと思う。
 サンタが普段目立つ服を着ているのは、家に侵入しやすいからだ。
 プレゼントを配るのはたいてい夜中だ。そんな時間帯に赤い服で人の家に忍び込むなんて完全に不審者だ。だが、サンタがニンジャだとしたら、その問題を解決できる。
 ニンジャなら全身黒ずくめだから夜にまぎれるのも簡単。諜報活動をするニンジャなら、人の家に忍び込むのも余裕。
 それにみんな、プレゼントを置きに来たサンタを探そうとしても、サンタ=赤い服と思い込んでいるから、夜にまぎれる黒い服のニンジャ(サンタ)をなかなか発見することができない。
 これが、ぼくがサンタはニンジャだと思う根拠だ。
 ぼくは確証を得ようと、去年事件を起こした。クリスマスイブに部屋中をきれいに掃除してからベッドに入った。翌日、プレゼントが届いていることを確認して一通り喜んだあと、
「お父さん、お母さん、ぼくのパソコン知らない?」
と、ぼくが大切にしているchromebookが失くなったように装ったのだ。
 どうにか2人をぼくの部屋には入れないように家中を探し回って、狙い通り警察に被害届を出してもらった。鑑識さんが調べた結果、部屋からはぼくが出入りした形跡以外なにも発見されなかった。
 やっぱりだ。サンタはニンジャなんだ。
 24日に部屋を片付け、25日に警察に相談して、26日には鑑識さんが来てくれた。その間、ぼくとプレゼントを置きに来たサンタ以外は誰も部屋を出入りしていない。にも関わらず、部屋の主であるぼくの痕跡は当然として、サンタの痕跡が見つからなかったということは、サンタは自分たちの正体に気づかれないように注意を払っているということになる。
 サンタのあの格好が本物なら、ひげの1本や2本は落ちていそうなものだ。あれだけたっぷり蓄えていたらなおさら。それがないということは、素肌が目しか出ていない全身黒い服を着ているニンジャだというなによりの証拠だ。
 ちなみにchromebookの件は、こっそり学校に隠しておいたので、鑑識結果が出てから回収して、学校に置き忘れていたと親や警察に報告した。サンタはニンジャだという確証は得られたが、信用という大切なものを失ってしまった。
 結局、サンタニンジャがプレゼントを配っている現場を押さえることはできていない。推論だけじゃサンタクロースは本当はニンジャなんだよって説明しても説得力に欠ける。部屋に監視カメラを仕掛けたとしても、暗い部屋に黒い服で入って来られたらよく映らない。
 ここまでかな。本物のニンジャ、一目でいいから見てみたかった。
 今年の9月に、お父さんの仕事の都合でマンションに引っ越した。20階建てで、部屋は10階だ。ここの住人でない人はエントランスで警備員に止められるし、オートロックだからもうさすがにニンジャでも入って来られないだろうな。
 残念だけど仕方ない。クリスマスにサンタさんからプレゼントをもらうのも去年が最後だと、あきらめて寝ることにした。
 そしてクリスマスの朝、ぼくは驚いた。枕元にプレゼント用に包装された箱が置いてあった。嬉しさのあまり、お父さんとお母さんに興奮しながら報告した。
「お父さん!お母さん!プレゼントだ!サンタが届けてくれた!」
「おお、そうか。よかったな」
「中身なんなの?早く開けてみたら」
「お母さんはせっかちだなあ。ぼくはサンタが来てくれたことが嬉しいんだ」
「っ!もういつの間にこんな立派に」
「じゃあ中身ゲームだったらお父さんが先にやっていい?」
「お父さんはデリカシーがないなあ。サンタがここまで来る苦労に、ぼくは思いを馳せているんだよ」
「ああ、確かにここセキュリティ厳しいから、サンタさんからしたら入りにくいわね」
「魔法でも使って、案外楽に入って来たんじゃないか?」
 魔法なんて使わないよ。サンタの正体はニンジャだから忍術を使ったんだよ。そう言おうと思ったけど、信じてもらえないだろうから、やめた。



この物語はフィクションです。

人生の最高の終わり方

親が目の前で死んでくれることでどれだけ救われるか。この安心に近い感情を理解したがらない人間がいるとしたら、その方はかなり過去に生きているのでしょうね。
常識や当たり前や価値観というものは時代や環境によって変わるものだから、別に否定はしませんけど、今の時代とは合わないと思います。
昔は親の死に目に会えないことも少なくなかったり、きちんと別れの挨拶ができなかったりしたそうだけど、今はもうほとんどそんな悲劇は起こらなくなった。だって……
「ちょっと邦明、聞いてるの?」
「ん?ああ、聞いてるよ」
「じゃあ、私は今なんて言った?」
「ええっと、浮気とか亜里沙を悲しませるようなことはするなって」
母の表情が固まってしまった。どう取り繕おうかとあたふたしていると、妻の亜里沙にたしなめられた。
「もうしっかり聞いててよ、お義母さんの大切な遺言なんだから」
「ごめんごめん」
遺言は文書で、という習慣もなくなった。パソコンで書けば本人が書いたのか判別できないし、手書きでも偽造の可能性がわずかに残るし、それに複数の遺言書が見つかったらどっちが新しいかでも揉める。こういったトラブルが回避できるという意味でも、あの法律には本当に感謝している。
「いい?邦明からも知花を説得してちょうだい。子を持てって」
「子供のことか。だってよ、姉さん」
「はいはい、分かってますよ」
姉さんは、それに夫の篤義兄さんも、別に子供は欲しくないそうだ。でも、面と向かって母に言うと喧嘩になりそうなので、言わないようにしているらしい。
「仕事が忙しくてなかなか時間作れないの」
「休みもらえないの?あなたの会社、ちゃんと法律守ってる?」
「違法なことはやってません。ただ手掛けてる事業がどれも好調だから忙しいだけ」
「あらそう。篤くんはどうなの?」
「うちはそれほどでもないんですけど、中間管理職なもんで、上と下からの圧がすごくて、精神的に参っちゃいますよ」
「そうなの。大変ねえ」
「昼休憩の時にでも抜け出して、知花の会社へ行ってこっそり誰もいない会議室で……」
「やだもう!そんな恥ずかしいこと絶対しないでよ」
篤義兄さんも上手い。あまりしたくない会話を自然な形で後味を悪くせずに終わらせた。時間も迫ってきているし、拓海との会話の時間を多く残そうとしてくれたのかもしれない。仕事も気配りもできて尊敬する。姉さんは本当にいい人に出会えたね。
「拓海、来てくれてありがとね。今日は平日だし、部活もあったでしょ。悪かったねえ」
「気にしすぎだよ、ばあちゃん。今日はばあちゃんの命日になるんだから、来ないわけにはいかないよ」
「まあ!嬉しい!拓海は本当に優しいねえ。亜里沙さんの育て方がいいからかしら」
「いやいや、お義母さんに似たからだと思いますよ?」
終始和やかな雰囲気で病室は満たされた。少しだけ寂しさも感じられるが――たぶん亜里沙は必死にこらえているかもしれない――でもずっと前から決まっていることだし、心の準備をする時間があったから、これだけ穏やかでいられるんだろうな。
ドアを2回叩く音がして、神妙な顔をした医師と看護師が入ってきた。
「そろそろお時間です」
もうそんな時間か。結構あっという間だった。
「遺言は済みましたか?」
医師の質問に母は、はいとしっかり答えた。続けて医師は母と、それから僕ら家族全員に、最後の挨拶も済んだか尋ね、みんな、はいと答えた。
全員の意思を確認したところで、医師は母に投薬処置を始めた。
国家維持法の施行により、人間は70歳の誕生日を迎えてから71歳の誕生日が来るまでの間に死ななければいけなくなった。当初は反発も大きかったが、時が経つにつれて国民一人一人の幸福度がどんどん上昇していった。経済が正しく回ったことで、ほとんどの国民が物質的にも心理的にもそれぞれ欲しいものが手に入るようになり、国全体が豊かになった。高待遇の仕事、面倒な家事の外注、エンタメの充実、行政支援など。
一世帯資産限度額の制度化によって経済格差を是正しただけでも幸福度は上がったが、高い水準で幸福度を保つ要因になっているのは寿命の制定の方だ。
人の命は70年。そう決めたことで人間は死に方を選べるようになった。今までは生き方にばかり意識を向けて、1人でも多くの人間が少しでも多くの選択肢を持って、人間に生まれてよかったと思えるようにそれぞれが努力を重ねてきた。
だが、それだけでは幸福度の上昇に限界があることに人々は気づき始めた。いろんな仕事があって、その仕事に就くための学校もあって、娯楽だって数えきれないほどある。世界中どこへ行っても最低限の生活ができるレベルのインフラは整っていて、その維持にも問題がない。
人間は欲深いから、もう少し、まだ何か最上の幸福に近づく方法はないかと探した。そして、ある1つのテーマに着目した。死、だ。
それまでの人間は事件や事故に巻き込まれて突然死ぬか、介護や闘病が必要になり、永遠とも感じる長い時間をかけてじっくりと苦しみながら死ぬのがほとんどだった。
特に後者は当人だけでなく、周りの人間にも多大な負担が重くのしかかっていた。大切な人が目の前で苦しんでいるのに、自分は何もしてあげられない、変わってあげられない。その心理的な負担は計り知れない。外部の力を借りられず、1人で介護を続ける肉体的・精神的負担は想像を絶する。
なぜ、そんなにも辛く感じるのか。それは終わりがいつか分からないからだ。
いつ自分は死ねるのか。いつまで闘病や介護を続けなくちゃいけないのか。マラソンであればゴールが分かっているから、区間ごとにペース配分を決めて走り切れるし、試験だって合否判定を1つのゴールとして力を出し切ることができる。
だが闘病や介護は違う。ゴールが分からないからペース配分も決められない。今が正念場なのか、休んでもいいのかも分からない。終わりがいつか分からない辛さは味わった者にしか分からない。だから、介護者による要介護者の殺人が絶えなかったのだ、昔は。
そこで、悲劇をこれ以上生まないためにゴールを作った。寿命は70年と終わりを定めたことで、救われる人が大勢いた。あと数年で死ねる、あと数年でこの苦悩から解放される。そう思えるようになったことで、ラストスパートをかけられるようになった。もう少しだ、と踏ん張る力が湧いてきた。
さらに、闘病や介護が必要ない健康な人たちにとっては、自分の理想とする死に方を選べるようになった。母や亡き父のように、家族に見守られながら逝くのが一般的だが、他にもいくつかのパターンを選択できる。江戸時代の切腹や通り魔から通行人をかばって死ぬようなことも、専門家や警察の協力を得て可能となった。
みんなそれぞれが思い思いの死を選べることで、幸福度が高い割合で保たれている。ドラマチックに死にたい人はドラマチックに、穏やかに死にたい人は穏やかに死ねる。国家維持法のおかげで、ようやくこの素晴らしい世界に到達できた。全ての先人たちに感謝したい。
「16時30分、死亡を確認しました。今、死亡診断書を作成してきますので、もう少しお待ちください」
医師が沈痛な表情で挨拶して病室を出ていくと、看護師も続いて母に一礼し、みんなにも一礼して出ていった。それを見届けてから、亜里沙はすすり泣いた。
寿命の制定のいいところは、死ぬ本人だけでなく、周りの人間にもある。それは永遠の別れをするという覚悟を前もってできる点だ。
亜里沙。はい、ハンカチ」
「んんん、ありがど」
国家維持法ができる前は、役所への死亡届の提出とか葬式の準備とかの忙しさによって悲しさを無理矢理忘れさせようとしていたらしいが、そんな強引な手段では大切な人との別れなんてできるわけがない。でも死亡日があらかじめ決まっていれば、ほとんどの人は当日までに心の中で区切りをつけることができる。たまに亜里沙のように、人より時間のかかる人もいるけど。
「もう少し……お義母さん、生きてちゃダメだったのかな。健康だったんだし」
「そんなことしたら絶対後悔したと思うよ。これでよかったんだよ」
「でも……」
「国家維持法がなかったら、こうして母さんの最期に立ち会えなかったかもしれないんだよ?」
亜里沙の気持ちも分かるが、やっぱりこれでよかったと思う。
過去の政府は人生100年とか言って長生きを推奨していた。推奨するだけしておいて、国民全員が長生きできるようには決してしなかった。社会保険料は上げて、給料は下げる。誰でも入居できる老人ホームは作らず、自分ら権力者や金持ちはいい思いができるように高級老人ホームを作って悠々自適に生きていた。政治家は1人残らず無責任だった。
病院にしてもそうだ。病気とは闘わなければならなかった。白旗を振ってはいけないという価値観で脳みそが固まっていた。だがようやく全員が気づいた、自分たちはなんて恐ろしいことをしていたのだと。生きていてもいいなんて、とてつもなく残酷なことだったんだと、後悔した。
若い世代や中高年にしてもそうだ。自分もいつかあんな痛ましい姿になるのか。それとも、その姿をずっとそばで見ていなくてはいけないのか。
そんな不安も高齢者の支援の負担も心労も、物質的に豊かになった社会での不満を解消してくれる。国家維持法とは、そういう理想的な法律なのだ。
なかなか気持ちの整理がつかない亜里沙の背中をさすっていると、医師が書類を持ってきてくれた。
「これから葬儀場の方がお母様を引き取りに来られます。手続きは以上になります」
「どうもありがとうございました。お世話になりました」
医師が下がったあと、姉さんと篤義兄さんは帰宅を促したが、亜里沙のためにも少しだけ残ることにした。拓海も付き合ってくれた。
「そう。じゃあまた土曜日に」
病室を出る姉さんの肩が震えているのが見えた。その肩に、篤義兄さんはそっと手を添えていた。
亜里沙、もう少しだけ、ここにいようか」
亜里沙は泣きながら頷いた。



この物語はフィクションです。

ホクロ

朝起きたら右腕にホクロができていた。大きさはだいたい1~2ミリくらいで色も薄いから、その時は気にならなかった。
数日後、今度は左の肩にホクロができた。大きさも色の濃さも右腕と大差なかった。どうせ日中は仕事でスーツを着るのだし、ジャケットを脱いで肌着とかカッターシャツだけになっても見えないのでどうでもよかった。
でも、さすがにこの2つのホクロが大きくなりだしてからは、寝ている時以外は頭の片隅に常にホクロのことがあった。
自販機で飲み物を買う時。会社で人に書類を渡す時。電車で吊り革を掴む時。
自分の腕や肩が視界に入った時などは特に。
(ああ、そういえば、今朝見たらまた少し大きくなったっけ)
と、日に日にホクロに対してネガティブな感情が溜まっていった。
気分が下降ぎみだったのもあり、500円玉と同程度の大きさまでホクロが肥大化したあたりで、
「これは……マズくないか」
と焦って、急いで形成外科を受診してみた。
「先生、もしかして皮膚ガンがなにかですか?」
「いえ、調べたところ、これは悪性の腫瘍ではありません」
「本当ですか!?よかった」
「ただ……」
「えっなんですか?」
「原因がはっきりと分からないんです」
「それって今後病気になる可能性も……」
「なくはないですね。念のため、他の病院も受診してみることをお勧めします」
「そうですか。ありがとうございました」
「あ、ちなみにこの大きさくらいだと、除去するとしたら自由診療になりますので」
自由診療というと……」
「美容整形にあたるので、手術しても保険適応外ということです」
別の形成外科の医師にも同じことを言われ、ホクロを取ることを決意し、美容外科を紹介してもらった。
「診たところ、これくらいなら30分もかからずに取れますね。右腕と左肩どっちも取るとして、慎重にやっても1時間弱で終わると思います」
「どちらも取ってほしいです」
「了解でーす。麻酔打って、炭酸ガスレーザーで除去して、経過観察するって流れになります」
炭酸ガスレーザー」
「いやいや、ただの医療器具ですから。安心してください」
とても医者には見えない遊び人のような雰囲気の人だが、準備から施術から流れるように進んでいったし、麻酔が少し痛かったくらいで、あっけなくホクロを2つとも除去してくれた。
血も全然出ないし、拍子抜けするくらい簡単に取れた。絆創膏を処方してもらって、
「1日に1回貼り替えてください。それで、おそらく2週間くらいで傷も消えると思います」
と言われ、5万円であっという間にホクロから解放された。
あーすっきりした」
安心したのもつかの間、数日経ってまたホクロが現れた。今度は首と右の太ももだ。
小さいうちに取ってしまおうか悩んでいるうちに、ホクロはみるみる大きくなってきた。首のホクロに至っては首周り全部に広がって、背中にも侵食しようとしている。
一大事だ。最初に受診した形成外科へ駆け込んだ。
「今回も悪性の腫瘍ではないんですが、原因は分かりませんね」
「なんだか怖いので、取ってもらえませんか」
「ここまで大きくなっていれば保険が適応されます。ただ……場所が場所ですから、麻酔をしても痛みがあるかもしれません」
「構いません。きれいに取ってください!」
あれだけ広範囲に拡がっていたホクロが、あとかたもなくなっていた。この先生に頼んでよかった。保険のおかげで、会計も10万円で済んだ。
もうこれで終わりだ。ホクロなんて今後できないし、できても色の薄くて小さいやつだけ。全く気にならない、人の目に触れない箇所にちょこんとできるレベルにしてくれ。


必死の願いもむなしく、施術後3日ほどでまたホクロができた。今度は左のふくらはぎと口元だ。とうとう他人から見える位置にできてしまった。こうなってくるとホクロの存在による心労は今までの何倍にも積み重なってくる。
会話する時に相手の視線が一瞬ホクロに向いたのも全部分かってるし、悪気はないだろうけど、ゴマ?ゴミ?がついてるよと指を差してくる。うんざりだ。
だが、これは案外早い段階で解決された。
ふくらはぎと口元以外にも腰、左手、お尻等々数ヶ所に現れた。その後、今までにないスピードでホクロが急拡大していった。
周りの人はパニックになった。ダニや蚊に刺されて変な感染症にでもなったんじゃないか。恐怖と不安でたまらなそうにしていたが、自分としては身体の表面の色が変わっただけで、特に体調不良でもなんでもなかった。周りが怯えているばかりだからか、逆に冷静でいられた。
大騒ぎになっても困ると思い、会社を早退して、眼鏡とマスクを買って病院へ行った。
シャツを脱いで、左肩からデカくなってきたホクロと左手の甲からデカくなってきたホクロがそろそろ繋がりそうなのを見て、医師や看護師たちが大慌てで防護服に身を包んだ。
血液検査だとかX線検査だとかいろんな検査が行われた。どこもなんともないので、普段通りに大人しくしていると、医療関係者からすると逆にそれが不気味に見えたらしく、とても緊張していた。
検査結果が出るまで誰もいない部屋で一人寂しく待っていると、その間にもホクロはどんどん大きくなっていき、とうとう顔と下半身はホクロの黒褐色に埋めつくされた。
不思議そうな顔で医師が書類を持って部屋に入ってきた。防護服は脱がず、自分と少し距離を取って椅子に座った。そして、
「検査の結果、特にお身体に異常はありません。ただ……」
「原因が掴めない」
「……!はい。一体何が起こっているのか」
医師が悩んでいる間に、ホクロはとうとう右の二の腕以外の全てを侵略していた。
「局所的なホクロでしたら除去も簡単なんですけど、こうも全身に広がっていると……」
さすがにこれは取れないだろう。取れても費用も桁違いになるはず。
「別にいいです。このまま取らなくて」
医師はまだ何か言いたいようだった。あ、そうか。これがもし新種の病気だった場合を心配しているのか。確かに、今ここで病院を出て、誰かに感染ってしまったら……。もし他に同じような症状の人が現れた時にどう対処するのか。いろいろと考えているうちに、二の腕も全部ホクロで覆い尽くされた。これで完全に全身ホクロ人間になってしまった。
「とりあえず数日間、経過観察のために入院という形でよろしいですか?」
こうなってしまっては仕方がないだろう。外に出て騒ぎが大きくなってもよくない。
「はい。何かあったらよろしくお願いします」
個室に入ることになって、部屋に案内されている時だった。ふと、左肘のあたりの違和感に目が止まった。
あっ、肌色のホクロだ。



この物語はフィクションです。

ボタン

平日の午前中ということもあって、駅前行きのバスには運転手が1人と乗客が5人だけだった。バス後部の2人掛けの席に座る女性は、息子の研人が公共の場にふさわしくない行動を繰り返すので、てんてこ舞いだった。
「ケンくん!お願いだから大人しくして!」
それでも、研人は思うがままに動いた。母親のひざの上に立って前の座席に飛び移ろうとしたり、窓ガラスをペシペシ叩いたり、鼻クソを投げたり。
母子のななめ前にはおばあさんが、ななめ後ろにはスーツを着た男性がいた。母親は申し訳ない気持ちでいっぱいで、マスク越しでもつ疲れているのが見て取れた。
そんな心情を察してか、おばあさんが声をかけた。
「まあまあ、元気があっていいじゃない。気にせんでもいいよ」
母親は安心できたのか、笑顔がこぼれた。おばあさんも育児を経験してきたのだろう、母親と話が盛り上がった。その間に研人の興味は窓枠に設置された降車ボタンへと注がれた。
ボタンを押すすんでの所で母親が気づき、研人をボタンから遠ざけた。
だが研人は諦めなかった。何度母親の手で引き戻されようとも、どうしても研人はあのボタンを押したかった。連打したかった。
母親もおばあさんとの会話に集中できず、つい「ケン!やめなさい!」とおばあさんをも驚かせる鋭い声をあげてしまった。
しかし、それでも研人は一瞬その剣幕に怯んだだけで、また降車ボタンに手を伸ばし始める。母親は溜め息をついた。
すると、おばあさんが何か思いついたのか、鞄の中を探し始めた。
「あった。ケンくん、はいこれ」
そういっておばあさんは、テレビのリモコンを差し出した。
スマホと間違えて持ってきちゃったのよ。ボタンいっぱいあるし、こっちで遊ばない?」
大量のボタンを見て、研人は目を輝かせた。おばあさんからリモコンをひったくると、どのボタンから押そうかとドキドキしながら迷っている。
悩んだ末に、研人は一番目立っている大きな赤いボタンを押すことにした。リモコンを座席に置き、正座をして呼吸を整える。右腕を振り上げ、人差し指に集中する。そして勢い良く腕を振り下ろしてボタンを押した。と、同時に、
「ピュウウ~ドン!」
と、打ち上げ花火のような音が車内に響いた。昼間だし、空耳だろうと、母親とおばあさんは気にも止めなかった。
しかし、研人がまた大きな赤いボタンを押すと、
「ピュウウ~ドン!」
と音がした。
「もしかして、このリモコンから?」
「そんなまさか……だって普通のテレビのリモコンよ」
母親とおばあさんは不思議がった。車内を見渡してみても、特に変なものはない。
2人の心配をよそに、研人は大興奮していた。面白くた仕方ないのだ。そして今度は、数字の1か書かれたボタンを押してみた。すると、
「ワン」
と犬の鳴き声が聞こえてきた。母親とおばあさんは身を乗り出して座席と座席の間を探してみたが、犬はいなかった。だんだんと不安になってきた2人とは反対に、研人はますます楽しそう。
今度は研人が2のボタンを押してみると、
「ワン、ワン」
犬の鳴き声が2回聞こえてきた。研人がキャッキャと笑っているすぐ脇で、母親が何かに気づいた。母親はもう1度ボタンを押すよう研人に促した。
「なにか分かった?」
見落とすまいと集中している母親は、おばあさんの問いかけに黙って頷いた。
おばあさんも固唾を呑んで見守る中、研人が2のボタンを押すと、
「ワン、ワン」
と、またさっきと同じように犬の鳴き声が2回聞こえてきた。そして母親は見逃さなかった。母子のななめ後ろに座っているスーツを着た男のマスクがもごもごと動いたのを。
そう、スーツ男が、研人がボタンを押すたびにモノマネをしていたのだ。
母親とおばあさんは、奇妙な音の正体が解って安心した。バス内に漂っていた緊張の糸がほぐれ、和やかな雰囲気に包まれた。
仕掛けが解った研人はスーツ男にリモコンを向けて、どんどんボタンを押した。
研人が3を押して、スーツ男が「ワン、ワン、ワン」と鳴く。4を押して「ワン、ワン、ワン、ワン」と鳴く。だんだん数字が増えるにつれて、スーツ男は息苦しそうになり、鳴き声が少なくなった。
研人はイライラしてボタンを連打するが、スーツ男はちゃんと鳴いてくれない。試しに数字のボタンを長押ししてみると、スーツ男は、
「ワーーーン」
と、ボタンを押した秒数分だけ長く吠えた。研人はとても楽しそうだが、スーツ男は苦しそうだ。
その後も2人の掛け合いは続いた。
研人が地上波ボタンを押すと、スーツ男はアブラゼミの鳴き声をマネした。研人はつい、窓の外にセミを探した。
BSボタンを押すとウグイスの鳴き声が、番組表ボタンを押すとマナーモードになった携帯電話のバイブ音が聞こえてくる。本物と勘違いした母親は鞄からスマホを取り出して笑った。
そして、研人が入力切替ボタンを押すと、「プゥー」とおならの音がした。研人がお腹を抱えて笑っていると、スーツ男が初めて喋った。
「あ、すみません」



この物語はフィクションです。

財産

せっかくの良い天気なんだが、こうも身体がダル重いとなかなか仕事に身が入らない。が、いい年してうだうだ言ってるのもカッコ悪いので、コーヒーを1杯飲んで集中する。
職場のデスクに着くと、部下の坪井が来た。
「相田さん、おはようございます。今日回るのは4件だそうです。まとめた資料はさっき送ったので、確認お願いします。自分は車、回してきますね」
「わかった。確認したらすぐ行く。車、よろしく」
仕事用タブレット端末を起動するとメールが届いていた。どれどれ……あー1件だけ場所が離れてるな。いいや、ここを最後にしよう。近い3件をちゃっちゃと片付ければなんとかなるだろ。よし、頑張るか。
署の表で待っている坪井のところまで急ぎ、俺は助手席に乗り込んだ。
「お待たせ」
「最初はどこ回りますか?」
「黒沢さんのお宅にしよう。んで、寺原さん、別府さんの順で回って、一番遠い森田さん家を最後にしようと思う」
「了解です」
坪井の安全運転で、まずは黒沢宅へ向かった。黒沢夫婦はいわゆるお金持ちで、高級住宅街に住んでいる。豪華な家々が並び、街路樹もきれいに整備され、ゴミ一つ落ちていない。洗練された街に夫婦は暮らしていた。
「いいですねえ、一軒家。自分もいつかは庭付きの戸建てを買いたいです」
「坪井ならすぐにでもそれくらい稼げるだろ。まあ公務員で、となるとちょっと時間はかかるけど」
「本当ですか?……あ、お世辞ですよね。すみません」
「事実だよ。謙遜しすぎ。坪井はなあ、もっと自分に自信持った方がいいぞ」
「いえ、そんな……まだまだですよ」
「いや、明らかに有能すぎるから。仕事覚えんの早すぎ」
「みなさんの足引っ張らないように必死です」
「……うん、まあ家買えるように頑張ってな」
「はい!」
なんなんだろうなあ。最近の若いのは。世渡りが上手すぎないか。まさか学校で習うわけじゃあるまいし。人格がこれだけ優れているのが当たり前で、坪井の場所はさらに仕事もできるって。嫌だねえ、自分が惨めに思えてくる。せめて、仕事だけでも真面目に取り組むか。
黒沢宅に到着した。ガレージに車が停めてあるので、おそらく在宅だろう。
早速チャイムを鳴らすと、黒沢夫人が出てきた。税務局の徴収部であることを伝え、中へ通してもらった。ご主人も在宅だったので、一緒に話をすることができた。
「徴収部ということは、うちの金を取り上げに来たのか」
「いえ、私共の仕事は、そのような強奪するというニュアンスはなくてですね……」
「同じことだろうが!」
「まあまあご主人、落ち着いてください。まず話をさせてください」
「私たちは忙しいんだ。早くしてくれよ」
豪傑タイプの人間はやっぱ苦手だなあ。坪井も苦手だろうが、ここは経験を積ませておくか。俺は、坪井に説明するよう促した。
「現在、黒沢ご夫婦は数多くの資産をお持ちでいらっしゃいます。家屋、土地などの不動産。絵画や彫刻などの美術品。株や仮想通貨などの金融資産。それとお車もありましたね。黒沢家の全資産を合計しますと、約23億円ほどになります。これは、国家維持法に定められた一世帯資産限度額を大幅に超えています。限度額は10億円ですので、今お持ちの資産から約13億円ほど、手離していただきます」
「全く……なんでこんな法律なんかに従わなければならないんだろうなあ」
黒沢主人は、心底うんざりした表情で溜め息をついた。
「これは一人でも多くの弱者を救済する目的で作られた法律です。この法律に従うことは、間接的に世の弱者を助けることと同じ意味を持つのです」
「知らんよ、そんなことは。自分たちが頑張って働いた金で好きなもの買って、何が悪いんだ」
「世の中には、お2人のように働いて大金を得ることが困難な人たちもいるんです」
「努力が足りないその人たちが悪いんじゃないかしら」
「……やっぱり。何も分かっていない。これだから金持ちは」
「なんだと!」
俺は慌てて止めに入った。坪井も、正義感があるのは頼もしいが、弱者に共感しすぎるあまり、金持ち相手に感情的になってしまうきらいがある。今後、それが自覚できればいいんだが。
「部下が、大変失礼しました」
「ふん、まあいい。話は終わりだ。帰ってくれ」
「いえ、そういうわけにはいきません。まだ仕事が終わっていませんので」
「……わかった。どうやったら帰ってくれるんだ」
「限度額の超過分、およそ13億円分の資産を差し押さえさせていただきます。本日、すぐにでも回収してもよい資産があれば、応援を呼んで回収させていただきます。差し押さえする資産の選定に、お2人も同席してください」
「信じられんな……どうしてこんなことに……」
「生きていくにはお金が必要です。そのお金は、手に入れた人々や企業が使うことで世の中に回っていくのです。消費することで経済が潤い、数多くの人々の暮らしが豊かになる。それが理想的だったのですが、旧社会の一部にこれを理解できない者たちがいたんです。節約をし、使う金を少しでも減らそうとする者。使わずに貯め込む者。そして増やそうとする者。これがとても厄介でした。元々、金を稼ぐ能力のある者のところに金が流れやすいシステムや制度ばかりでした。そこに投資という資産を増やす方法が新たに加わったことで、富裕層と貧困層の格差はさらに広がっていきました。投資は現金を元手に金融資産を増やす手段です。つまり、誰かが投資をするとその分市場から現金がなくなります。現金が少なるなると、人々に渡る金額も減ります。金を稼ぐ能力の低い人のところにあまり金が行かなくなる一方、能力の高い人のところには変わらず金は行き渡る。もしくは多少減っても投資をすると金融資産という形で、結局お金が入ってきます。そのせいで経済格差がどんどん広がっていったのです」
これまで何度も説明してきて、理解してくれない人も何人もいた。その度に、どうやったら理解してもらえるだろうかと苦心した。できるだけ噛み砕いて、かつ丁寧に要点だけをまとめて、より分かりやすくしたつもりだったが、はたして今回はどうだろうか。すると夫人が、
「じゃあその稼ぐ能力の低い人たちにいなくなってもらえばいいんじゃない?」
と返してきたので、俺は、ああ今回はダメだったかと諦めた。
「そういう人たちも稼げるようにするためには、教育を施す必要があります。その準備をするためには、結局金が要る。何をするにも金が必要なので、一部の人や組織に金が集まりすぎないように限度額を設けたんです」
一通りの説明も済んだし、差し押さえ作業に取りかかろう。黒沢夫妻は、迷惑な話だとか、これだから貧乏人はとかブツブツ言っているが、気にせず仕事をしよう。まだあと3件も残ってる。

「相田さん、すごいですね。あんなに落ち着いて、丁寧な説明できるなんて」
「慣れだよ慣れ。坪井も経験積めばできるようになるよ」
「そうですかねえ」
一仕事終えて、次の現場に向かっている道中、俺のスマホに電話が入った。課長からだ。
「はい、もしもし」
「急で悪いが、うちの課で所有してる車を半分ほど売却することになった」
「えっ?」
「去年みんな頑張りすぎて収支増えすぎちゃって。限度額超えそうだから、手離せるものは今のうちにってことらしい」
「いやいや待ってくださいよ。今後の移動はどうするんです?」
「自転車が支給されるそうだよ」



この物語はフィクションです。

人違い

本屋さんでむずかしそうな本たちとにらめっこしてるパパに声をかけた。でも振り向いたらちがう顔だった。知らない人だ。
あやまらないといけないけど、はずかしくてモジモジしてたらそのおじさんが「パパと間違えちゃった?」ときいてきた。うん、と頷いたら「今度は間違えないようにね。チャンスはあと1回だよ。パパも寂しいだろうから」と言ってきた。
はい、と返事をして、ほかの棚のところを探した。そしたらマンガの棚のところにパパがいたから、声をかけようとした。すぐそばまで来たら、さっきおじさんに言われたことを思い出した。
「今度は間違えないようにね。チャンスはあと1回だよ」



この物語はフィクションです。