ショートショートの披露場

短い小説を書いています

財産

せっかくの良い天気なんだが、こうも身体がダル重いとなかなか仕事に身が入らない。が、いい年してうだうだ言ってるのもカッコ悪いので、コーヒーを1杯飲んで集中する。
職場のデスクに着くと、部下の坪井が来た。
「相田さん、おはようございます。今日回るのは4件だそうです。まとめた資料はさっき送ったので、確認お願いします。自分は車、回してきますね」
「わかった。確認したらすぐ行く。車、よろしく」
仕事用タブレット端末を起動するとメールが届いていた。どれどれ……あー1件だけ場所が離れてるな。いいや、ここを最後にしよう。近い3件をちゃっちゃと片付ければなんとかなるだろ。よし、頑張るか。
署の表で待っている坪井のところまで急ぎ、俺は助手席に乗り込んだ。
「お待たせ」
「最初はどこ回りますか?」
「黒沢さんのお宅にしよう。んで、寺原さん、別府さんの順で回って、一番遠い森田さん家を最後にしようと思う」
「了解です」
坪井の安全運転で、まずは黒沢宅へ向かった。黒沢夫婦はいわゆるお金持ちで、高級住宅街に住んでいる。豪華な家々が並び、街路樹もきれいに整備され、ゴミ一つ落ちていない。洗練された街に夫婦は暮らしていた。
「いいですねえ、一軒家。自分もいつかは庭付きの戸建てを買いたいです」
「坪井ならすぐにでもそれくらい稼げるだろ。まあ公務員で、となるとちょっと時間はかかるけど」
「本当ですか?……あ、お世辞ですよね。すみません」
「事実だよ。謙遜しすぎ。坪井はなあ、もっと自分に自信持った方がいいぞ」
「いえ、そんな……まだまだですよ」
「いや、明らかに有能すぎるから。仕事覚えんの早すぎ」
「みなさんの足引っ張らないように必死です」
「……うん、まあ家買えるように頑張ってな」
「はい!」
なんなんだろうなあ。最近の若いのは。世渡りが上手すぎないか。まさか学校で習うわけじゃあるまいし。人格がこれだけ優れているのが当たり前で、坪井の場所はさらに仕事もできるって。嫌だねえ、自分が惨めに思えてくる。せめて、仕事だけでも真面目に取り組むか。
黒沢宅に到着した。ガレージに車が停めてあるので、おそらく在宅だろう。
早速チャイムを鳴らすと、黒沢夫人が出てきた。税務局の徴収部であることを伝え、中へ通してもらった。ご主人も在宅だったので、一緒に話をすることができた。
「徴収部ということは、うちの金を取り上げに来たのか」
「いえ、私共の仕事は、そのような強奪するというニュアンスはなくてですね……」
「同じことだろうが!」
「まあまあご主人、落ち着いてください。まず話をさせてください」
「私たちは忙しいんだ。早くしてくれよ」
豪傑タイプの人間はやっぱ苦手だなあ。坪井も苦手だろうが、ここは経験を積ませておくか。俺は、坪井に説明するよう促した。
「現在、黒沢ご夫婦は数多くの資産をお持ちでいらっしゃいます。家屋、土地などの不動産。絵画や彫刻などの美術品。株や仮想通貨などの金融資産。それとお車もありましたね。黒沢家の全資産を合計しますと、約23億円ほどになります。これは、国家維持法に定められた一世帯資産限度額を大幅に超えています。限度額は10億円ですので、今お持ちの資産から約13億円ほど、手離していただきます」
「全く……なんでこんな法律なんかに従わなければならないんだろうなあ」
黒沢主人は、心底うんざりした表情で溜め息をついた。
「これは一人でも多くの弱者を救済する目的で作られた法律です。この法律に従うことは、間接的に世の弱者を助けることと同じ意味を持つのです」
「知らんよ、そんなことは。自分たちが頑張って働いた金で好きなもの買って、何が悪いんだ」
「世の中には、お2人のように働いて大金を得ることが困難な人たちもいるんです」
「努力が足りないその人たちが悪いんじゃないかしら」
「……やっぱり。何も分かっていない。これだから金持ちは」
「なんだと!」
俺は慌てて止めに入った。坪井も、正義感があるのは頼もしいが、弱者に共感しすぎるあまり、金持ち相手に感情的になってしまうきらいがある。今後、それが自覚できればいいんだが。
「部下が、大変失礼しました」
「ふん、まあいい。話は終わりだ。帰ってくれ」
「いえ、そういうわけにはいきません。まだ仕事が終わっていませんので」
「……わかった。どうやったら帰ってくれるんだ」
「限度額の超過分、およそ13億円分の資産を差し押さえさせていただきます。本日、すぐにでも回収してもよい資産があれば、応援を呼んで回収させていただきます。差し押さえする資産の選定に、お2人も同席してください」
「信じられんな……どうしてこんなことに……」
「生きていくにはお金が必要です。そのお金は、手に入れた人々や企業が使うことで世の中に回っていくのです。消費することで経済が潤い、数多くの人々の暮らしが豊かになる。それが理想的だったのですが、旧社会の一部にこれを理解できない者たちがいたんです。節約をし、使う金を少しでも減らそうとする者。使わずに貯め込む者。そして増やそうとする者。これがとても厄介でした。元々、金を稼ぐ能力のある者のところに金が流れやすいシステムや制度ばかりでした。そこに投資という資産を増やす方法が新たに加わったことで、富裕層と貧困層の格差はさらに広がっていきました。投資は現金を元手に金融資産を増やす手段です。つまり、誰かが投資をするとその分市場から現金がなくなります。現金が少なるなると、人々に渡る金額も減ります。金を稼ぐ能力の低い人のところにあまり金が行かなくなる一方、能力の高い人のところには変わらず金は行き渡る。もしくは多少減っても投資をすると金融資産という形で、結局お金が入ってきます。そのせいで経済格差がどんどん広がっていったのです」
これまで何度も説明してきて、理解してくれない人も何人もいた。その度に、どうやったら理解してもらえるだろうかと苦心した。できるだけ噛み砕いて、かつ丁寧に要点だけをまとめて、より分かりやすくしたつもりだったが、はたして今回はどうだろうか。すると夫人が、
「じゃあその稼ぐ能力の低い人たちにいなくなってもらえばいいんじゃない?」
と返してきたので、俺は、ああ今回はダメだったかと諦めた。
「そういう人たちも稼げるようにするためには、教育を施す必要があります。その準備をするためには、結局金が要る。何をするにも金が必要なので、一部の人や組織に金が集まりすぎないように限度額を設けたんです」
一通りの説明も済んだし、差し押さえ作業に取りかかろう。黒沢夫妻は、迷惑な話だとか、これだから貧乏人はとかブツブツ言っているが、気にせず仕事をしよう。まだあと3件も残ってる。

「相田さん、すごいですね。あんなに落ち着いて、丁寧な説明できるなんて」
「慣れだよ慣れ。坪井も経験積めばできるようになるよ」
「そうですかねえ」
一仕事終えて、次の現場に向かっている道中、俺のスマホに電話が入った。課長からだ。
「はい、もしもし」
「急で悪いが、うちの課で所有してる車を半分ほど売却することになった」
「えっ?」
「去年みんな頑張りすぎて収支増えすぎちゃって。限度額超えそうだから、手離せるものは今のうちにってことらしい」
「いやいや待ってくださいよ。今後の移動はどうするんです?」
「自転車が支給されるそうだよ」



この物語はフィクションです。