ショートショートの披露場

短い小説を書いています

ペット

「お母さん!ねぇ、お母さん聞いて!」
美姫は帰宅するなりランドセルをポイっと廊下に放り、叫んだ。
「美姫、帰ったら『ただいま』でしょ。それと、物はもう少し丁寧に扱いなさい」
「それよらお母さん、聞いてよ!さくらちゃんがね、犬を飼い始めたの。柴犬?って言ってたかな。ふかふかしてて、すっごく可愛かったんだよ!」
「あら、そうなの?確かに柴犬って可愛いわよね」
母親の由紀に同調してもらえたことで、美姫の元気は倍増した。
「でしょ?あたしも柴犬が欲しい!ペットを飼いたいの。ね、いいでしょ?」
「ダメ」
由紀は当然のように反対した。
「どうせ世話をしなくなるでしょ」
「そんなことない」
このやりとりを幾度となく繰り返してきた。
美姫が我がままだということは由紀も理解していた。面白いと思ったものにはすぐに飛びつき、興味がなくなれば見向きもしなくなる。小学生のうちからこのような性格では将来苦労することは目に見えていた。美姫の両親も嫌われる覚悟で躾を厳しくしようとは思うのだが、一人娘だからか、どうしても強く叱れていなかった。
「ともかく、お父さんにも話をしてみましょう」
なかなか引かない美姫を前に根負けしそうになった由紀は、一家の大黒柱に美姫の説得を任せた。
その日の夜、美姫は父親を玄関で待ち構えていた。玄関を開けて入ってきたのが父親だと分かると、美姫は抱きついて訴えるのだった。
「お父さん!あたし、犬を飼いたい!」
リビングで家族会議が行われた。犬を飼いたい美姫とそれに反対する両親の争いは長く続いた。
「なぁ美姫、そもそもどうして急にこんなことを 言い出したんだ?」
「さくらちゃんの飼ってる犬が可愛くって、あたしも欲しいって思ったの」
「さくらちゃん?」
「橋本さんよ、あなた」
「ああ、橋本さんか。確かご両親とも教師で、さくらちゃんも真面目そうな子だったよな」
「ねぇ、いいでしょ?お父さん」
「いいやダメだ。ペットというのはお金がかかるんだぞ。餌やペットシーツ、予防接種とか病院にかかるお金だってバカにならないんだ。第一、美姫は今後一生、飼った犬の世話を続けられるのか?」
父親としての威厳を見せるため、美姫を泣かせるつもりで説き伏せようとしたが、美姫はそれでも食い下がった。美姫は半ば意地になっていた。
「大丈夫だよ。あたし、ちゃんとお世話するもん」
折れたのは両親の方だった。しっかりと目を見て抵抗してきた美姫の勢いに負 けた形となり、後日3人は最寄りのペットショップへ向かった。美姫はとにかく嬉しそうだった。
ペットショップは大型デパートの中にあった。1秒でも早くペットを選びたい美姫は、ペットショップが5階にあると知ると、両親の手を引っ張ってエレベーターに乗り、ボタンを連打した。
「そんなに押したら壊れちゃうでしょ。1回でいいのよ」
「だって遅いんだもん」
「連打すると余計に遅くなるよ。それに急ぐ必要はないだろ?動物たちが逃げるわけじゃあるまいし」
エレベーターを降りて少し歩くと、前方の右手側にペットショップの看板が見えた。今にも駆け出しそうな美姫の手を両親はぎゅっと握っている。休日で混雑しているので、はぐれないようにするためでもある。
ペットショップに近づくほどに、美姫のテンションが上がっていった。ついにペットショップの目の前まで来た瞬間、先程まであれだけはしゃいでいた美姫の動きがピタリと止まった。美姫は落雷に遭ったような衝撃を受けていた。
「ん?どうしたんだ?」
「……美姫?」
両親は美姫の視線の先を探した。
「可愛い……」
美姫はペットショップのショーウィンドウから見える店内の、1匹のウサギと見つめ合っていた。
「ねぇ美姫、あなたが飼いたかったのは犬じゃなかった?」
「あたし、あのウサギちゃんが欲しい!」
店内へ走っていった美姫を、両親は慌てて追いかけた。あの日の夜のことを持ち出してはみたが、美姫は主張を曲げなかった。
「この子が欲しい。犬だとさくらちゃんの真似をしたってバカにされそうだから嫌」
ウサギの方が安いし、散歩の手間も省けていいかと、両親は強引に納得してみせた。それに、可愛い娘がこう言うのであれば、二人は従うしかなかった。
美姫がウサギを見てうっとりしている間に、両親は店員からウサギの飼育についての指導を受けたり、書類にサインをしていた。
「1日に与える餌の量に気をつけてください。少なすぎるのはもちろん、多すぎると健康に重大な影響を与えます」
「その辺は人間と同じですね」
「はい。ですから、餌は1日2回。主に干し草とペレットをあげてください」
「ニンジンやリンゴは与えないんですか?」
「野菜や果物は時々おやつとして出す程度にしてください。栄養が偏ってしまいますので」
「あげちゃいけないものはありますか?」
「個体の好き嫌いもありますし、研究者の間でも意見の別れるところなので、ペットショップごとに答えが変わったりします。ですが、大部分のペットショップでは、ジャガイモ、ネギ、玉ねぎ、ニラ、アボカドなどは与えないように指導していると思います」
「なるほど。他に注意することはありますか?」
「水についてですが、毎日変えてあげてください。それと、器ではなく壁にかけるタイプの給水ボトルをお勧めします。床に置く器ですとウサギがひっくり返す場合もありますし、給水ボトルならば健康状態をチェックする一つの目安になります」
一通りの指導を受け、手続きを済ませた両親は、美姫と一緒にウサギの飼育に必要な備品を選んでいた。ペットショップに置いているものだけでは足りないと思い、デパート内を歩いて買い揃えることにした。
「そういえば、美姫はウサギちゃんの名前、どうするんだ?」
「あっ、決めてなかった。なにがいいかな」
「みたらし団子みたいな色をしてるし、みたらしちゃん、っていうのはどう?」
「お母さん、センスない」
「そ、そう?」
「じゃあ、今春だから、はるちゃん、ってのはどうだ?」
美姫は低く唸った。悪くないセンスだが、今一つピンと来ていない様子だった。
「思いついた!耳が大きいから、ミミちゃん!これに決定!」
「そのまんますぎない?本当にいいの?」
「いいの。みたらしちゃんよりずっと可愛いよ」
由紀は少し不満気だったが、美姫の笑顔でそれも許せた。3人は新しく加わった家族とともに、仲良く家路へ着いた。
家族が増えてから7日目。美姫は毎日ミミに餌を与え、水を変え、ブラッシングまでしていた。糞の始末は両親がこなしていたが、約束通り美姫はミミの世話を欠かさなかった。
両親がペットを飼う決断をしたことを後悔し始めたのは、それからさらに5日後のことだった。このところ、美姫は帰りも遅く、ミミの世話も疎かだった。最近の美姫はレースゲームに夢中になっていた。
「ちょっと美姫、今日まだミミちゃんに餌あげてないでしょ?」
「1日くらいあげなくても大丈夫だよ。それより今は話しかけないで。集中して……ああっ!誰よ、こんなトコにバナナ置いたの!?」
学校が終わると、友達の家にみんなで集まり、夜になるまでゲームで遊んでいた。美姫は家に帰ってもゲームをしている時間が増えた。自然とミミへの愛情も薄れていった。案の定、美姫はペットに興味を無くし、ミミの世話は両親がすることになった。
ある日、美姫は夢を見た。どこまでも続くただ真っ白で何もない空間に、美姫はいた。美姫が振り返ると、少し離れたところに薄茶色をしたサッカーボールほどの塊があった。間を置いて、美姫は気がついた。
「ミミちゃん?」
美姫の声に反応し、ミミが駆け寄ってきた。
「美姫ちゃんだ!久しぶりに遊ぼうよ!」
「うわっ!ミミちゃんが喋った!?何で?」
「ここが美姫ちゃんの夢の中だからかな。ウサギには分かんない」
「へぇ、そうなんだ。ふーん……」
美姫は辺りを見渡した。
「ねぇねぇ、どうして最近遊んでくれないの?寂しいよ」
「だってレースゲームの方が楽しいんだもん」
「そんなぁ……」
ミミは悲しさを露にした。捨てられたようで、とても切なかった。
「じゃあ、私とレースして。それで、私が勝ったらちゃんとお世話して」
「レースって駆けっこ?ヤだよ、疲れるもん。それにゴールはどうするの?何もないよ、ここ」
「あるよ。ほら、あそこに赤いコーンがある。先にあれにタッチした方が勝ちってことでいい?」
美姫がミミの向いている方角に目をやると、確かに赤いコーンが一つだけポツンと置いてある。今、美姫のいる場所からだいたい20メートルほど離れている。1回くらいなら、と美姫は勝負を受けた。結果はミミの圧勝だった。
「私の勝ちだね。約束通り、ちゃんとお世話してね」
「はいはい、分かりました。それよりここ、すっごく走りにくいから、もう走る遊びはしないからね」
「あれぇ?美姫ちゃん、それって負け惜しみぃ?」
ミミは冗談のつもりで言ったのだが、負けた悔しさから美姫はカッとなり、ミミを攻撃しようとした。ポケットに何かが入っていることに気づいた美姫は、それをミミにぶつけようとポケットに手を入れた。中身を取り出してみると、それはニンジンだった。
「ニンジンくれるの?美姫ちゃん、ありがとう」
我に返った美姫は、ニンジンから手を放した。ポトッと落ちたニンジンをミミは美味しそうに食べ始めた。美姫はその光景を静かに眺め、時折話しかけた。
「ニンジン好きなの?」
「うん。もっとちょうだい」
「干し草とかペレットは?美味しくなさそうだけど」
「野菜とか果物ほどじゃないけど、美味しいよ。食べてみる?」
「食べないよ。ウサギの食べ物なんか」
その後も度々、美姫の夢にミミは現れた。現実で相手にされない寂しさが募り、ピークに達すると、ミミは美姫の夢に現れるようだった。
美姫にとっては都合のいいことだった。現実では友達と楽しく盛り上がり、夜眠れば夢でミミと会える。すっかりペットに関心を無くしていた美姫だが、夢の中でミミと触れ合ってみると何だか面白く感じられた。それに夢の中では、現実ではできないようなことも簡単にできた。背中に翼を生やして空中レースをしたり、美姫の大好きなモンブランやミミの大好きなニンジンも食べ放題だった。何より美姫にとってもミミにとっても重要だったのは、会話ができることだった。美姫は話しかけてもミミが返事をしないので、飽きてしまった。そんな美姫を見て、ミミは落ち込んでいたのだった。
ミミとしては、現実でも遊んで欲しいと思っていたが、美姫は専ら夢の中でしかミミに興味を示さなかった。
「ねぇ、あなた。温泉にでも行かない?」
「どうしたんだ、急に」
「この頃どこへも出かけてないから、遠出したいなって」
「あたしも温泉行きたい」
「そうだな、久々に旅行するか」
「あっ、でもミミちゃんのお世話はどうする?お隣さんに預けるのも申し訳ないし」
「知り合いで誰か面倒見てくれる人がいないか、探してみるよ」
「大丈夫だよ。あたしがちゃんとお世話しとくから」
「何言ってるの。美姫も行くんだから、そんなことできないでしょ」
「ちっちっちっ、あたしならできちゃうんだなぁこれが」
不思議がる両親に、美姫は説明した。
「あたし、夢の中でちゃんとミミちゃんのお世話してるんだぁ」
「どういうこと?」
「嘘つけ」
「嘘じゃないよ。ミミちゃんが食べたいって言うから、ニンジンいっぱいあげたり、一緒に遊んだりしてるんだよ」
「ニンジンいっぱいって……。ペレットもちゃんとあげてるのに、そんなに食べられるの?」
「ウサギはあげただけ食べちゃうんだよ。だからペットショップの店員さんも餌の量に気をつけてって言ってたんじゃない?」
両親は半信半疑だったが、美姫に上手い具合に言いくるめられた。ミミの面倒を見てくれる人も見つからず、最終的には美姫の言うことを信じるしかなかった。念のため、両親は多めに餌と水を用意し、家族3人で3泊4日の旅に出た。
家を出る前日、美姫の夢にミミが現れた。そこで美姫は明日から旅行で3日間は帰らず、4日目の夕方か夜には帰ることをミミに伝えた。
「何かあったら夢に出てきて言ってね」
「分かった。いってらっしゃい」
旅行の1日目も2日目も3日目も、美姫の夢にミミは現れなかった。毎日現れるわけではないし、餌も水もあるからのびのびしているんだろうと、美姫は特に気にしなかった。両親が尋ねてきても、大丈夫そうだと能天気に答えた。
旅行の4日目、3人が家に着いたのは日が暮れてからだった。父親は疲れて玄関でぐったりしていた。美姫と由紀は荷物をリビングへ運んだ。ミミを最初に見つけたのは由紀だった。
「ただいま、ミミちゃん。寂しかった?」
触れてみるとミミは冷たくなっており、由紀は悲鳴を上げた。それを聞いて飛んできた美姫も、ミミに触れて事態が飲み込めると泣き喚いた。
「うわあああっ!お父さぁんお母さぁん新しいペット買ってえええっ!」





この物語はフィクションです。