ショートショートの披露場

短い小説を書いています

嫌われた男

えっ、先輩、禁煙始めたんですか?珍しいこともあるもんですね。雪でも降るのかなあ。痛っ、冗談ですよ、先輩。真に受けないでくださいよ。
じゃあ食後の一服はあそこの自販機でコーヒーでも買いますか。ほら、ちょうど近くにベンチもありますし、これだけ天気が良かったら外にいた方が返って休まりますよ。
先輩は何にしたんですか?レインボーか。美味しいですよね、それ。じゃあ俺もそれにしようっと。
あれ?確かにレインボーのボタン押したのになあ。今月2回目か。はあ、ブラックは苦手なんだよなあ。
えっ、悪いですよ、そんな。先輩もそんなにブラックは飲まないじゃないですか。……そうですか。じゃあここは甘えさせてもらいます、微糖だけに。……上手くないですね、すみません。
うーん、やっぱり俺って嫌われてるのかなあ、神様に。あ、いや、別に神の存在とか本気で信じてるわけじゃないんですよ?野球の神様とか笑いの神様とか、そんな迷信やジンクスの類の神様のことです。俺の場合は……何の神様だろう。生活の神様、とかかな。
思い返してみると、あの頃から徐々に嫌われ始めた気がするんですよ、神様に。
中学3年の時、他のクラスの子を好きになったんです。一目惚れってやつです。もの凄く可愛かったんですから。先輩も当時見てたら絶対可愛いって言ってましたよ。
平川茜っていう子だったんですけどね、垂れ目で黒目も大きくて、笑った時にちらっと見える八重歯が本当にキュートだったなぁ。
その子、吹奏楽部でフルートを担当してたみたいなんです。あんな可愛い子がフルートだなんて、
「鬼に金棒だろ。反則」
って周りの友達に訴えたんですけど、
「そこまでじゃないっしょ。あのレベルならよくいるって」
どうにも取り合ってもらえませんでした。俺の感覚が変だったのかなって一人で悩んでました。それでも、やっぱり俺には平川さんが他の子よりも断然可愛く見えたんですよねぇ。
ある日、それが確信に変わった時があって、とうとう告白しちゃったんですよ。自分から告白するなんて初めてで、マジで心臓がいつ飛び出してもおかしくないくらいバックバクでした。結局飛び出さなかったおかげで、今生きていられてるんですけどね、アハハ。
放課後、各部活がいつものように練習していたんです。俺はサッカー部でいつも通りグラウンドで練習していて、ふとその日出された課題のプリントを机に入れっぱなしだったのを思い出したんです。それで休憩中に教室に取りに行ったら、そこに平川さんと他の吹奏楽部員が二人もいて、フルートの練習をしてたんですよ。俺、ビックリしちゃって、
「何でここに……」
って声に出ちゃったんですよ。そしたら平川さんじゃない吹奏楽部員の一人が、
「いつもは第一理科室で練習してるんだけど、なんかエアコンが故障したらしくて、修理してるんだって。だから今日だけ違う教室でって先生に言われたの。何か用?」
正直、理由なんか説明されたって全然耳に入ってきませんでした。もう教室のドアを開けた瞬間、魔法にかけられたみたいに呆然としちゃって。
ドアを開けて真っ先に目に飛び込んできたのが、フルートを奏でる平川さんだったんです。笑顔も素敵でしたけど、フルートを演奏してる時の平川さんは次元の違う可愛さでしたよ、本当に。同じ人間とは思えないほど魅力的でした。
その時ですよ。ああ、やっぱり俺、平川さんが好きだって確信したの。それで告白するって決めたんです。
でも、その場では告れませんでした。他の人がいて、ビビっちゃって。とりあえず、平川さんに聞きたいことがあるって言って、二人きりになる時間を作ってもらって、プリントを持って教室を出ました。
後日、人気のない所に来てもらって、いよいよだって思って腹を括ったんです。
「この間、聞きたいことがあるって言ってましたけど、何を聞きたいんですか?」
「えっ、ああ、その……か、彼氏とかいるんですか?」
「えっ、かっ彼氏なんていませんよっ」
「本当ですか!?あの、だったら……」
「……何ですか?」
「俺、平川さんが好きです!付き合ってください!」
「ええっ!本当に……?」
「嘘じゃありません!俺、本当に平川さんが好きなんです!」
「嬉しい……ありがとうございます」
「えっ、ってことは……」
「はい。よろしくお願いします」
「やったー!」
「あの、ちなみに、私のどこを、好きになったか訊いてもいいですか?」
「顔です!もっと言うと目、かな。小動物みたいな可愛らしさがあって、もの凄くタイプなんです」
「え……」
彼女、それから泣きながら帰っちゃったんですよ。さようならって言い残して。見事に嫌われちゃいました。
やっぱりこの頃からだよなぁ。天に見放されたと言うか、神様に嫌われ始めたのって。そういう現象が起こる時ってあまり頻繁でもなくて……あ、でも、勝負事の時には結構起こるかも。期末テストなんかで選択問題ってありますよね。どうしても解らなくて最後まで取っておいて、残り時間が1分切ったら、鉛筆を転がすようにしてたんですけど、ほとんど不正解。直感で答えた方が当たってる気がするんですよ。
部活でもそういうことってありましたもん。さっきも言いましたけど、俺元サッカー部で、スタメンじゃない時期もありましたけど、試合にはほとんど出場してたんです。点取り屋だったんですけど、重要な場面になるとシュートが入らないことが多くて。ポストに嫌われる、って言葉聞いたことありません?ここぞって時にシュートを打つと、高確率でポストに当たってゴールの外に弾き出されちゃうんです。だから俺、PKって蹴らせてもらったことないんですよ。今でも月一でフットサルやってるんですけど、時々あるんですよ、ポストに嫌われることって。
あと、これは先輩も覚えてますよね?去年、取り引き先との重要な会議で俺が少し遅刻しちゃった日。あの日、これに乗れたら間に合うって電車に目の前で発車されちゃって。次の電車が意外と早く来たんで、あの程度の遅刻で済みましたけど。ホント、その節はご迷惑をおかけしました。
そういえば、先月、中学の同窓会に行ったんですよ。平川さんも来てたんですけど、俺の目に狂いはなかったって嬉しくなっちゃいました。とんでもない美人になってたんですよ、これが。当時の可愛らしい印象からがらりと変わって、奥ゆかしい大人の女性って感じでしたね。あの変貌っぷりには、友達も驚いてました。
「認めるよ。俺たちが間違ってた」
先輩も、一目見たら石化するくらいの美しさに絶句しますよ。
女性って、よく花に例えられますよね。そういう言葉もありますし。花盛りとか、解語の花とか、羞月閉花とか、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花とか。でも、大人になった平川さんの魅力は、花なんかとっくに超越してたんです。それはもう例えようもないほど綺麗でした。
えっ、ダイヤモンド?なるほど、宝石か。うーん、平川さんの方が輝いてましたね。
平川さんとはフラれた時以来全く顔も合わせてなくて、久々の再会でした。ちょっと気まずくて、自分から声をかけることはできなかったんですけど、当時の平川さんのクラスメイトに知り合いがいたので、そいつ経由で平川さんと話すことができたんです。
落ち着いた雰囲気も変わってなくて、あんなに素晴らしい女性がいるのに、周りの男共は何やってんでしょうね。平川さんが眩しすぎて、直視できないのかもしれませんね。
そうなんですよ。彼女まだ独身で、今は彼氏もいないらしいんです。それ聞いて俺、内心ガッツポーズしちゃいました。中学の時のリベンジしようと思って、デート、とまでは言いませんけど、一緒にサッカーの試合を観に行かない?って誘おうとしたんです。そしたら、そこにちょうどさっき話したクラスメイトの子供が走ってきたんです。
「ママー、ジュース飲み……あれ?あ、ママ、この人タバコのにおいがする。くさいねー」
衝撃的なこと言って、その子、俺の方を指差すんです。何も言えませんでしたよ。突然すぎて。あの時だけは喫煙者であることを後悔しました。結局、その子がクラスメイトと平川さんを連れてっちゃったので誘えませんでした。
今考えてみると、平川さんは勝利の女神様だったんじゃないかって思えるんですよね。女神の名に恥じないほどの美貌ですし。あの日、平川さんを傷つけてなかったら、もう少しだけ俺の人生もマシだったのかなぁ。
あっ、そろそろ昼休み終わっちゃいますよ。戻りましょうか。ん?うわっ、雨だ。先輩、傘持ってます?





この物語はフィクションです。

夢のような装置

今日の空は一面綺麗な青が広がる晴天だったが、中村一幸の顔は曇っていた。
「どうしようかなぁ……」
数時間前、中村は関京大学内の研究棟B棟の第8研究室にいた。1限からゼミの集まりがあり、重たい瞼をこじ開けるのに必死だった。他の学生たちもまだ眠そうにしていた。間もなく、草野ゼミの草野照彦教授が到着し、早速本題に入った。
「みんなには、今日から2週間以内に卒業研究の研究計画書を提出してもらいたい」
一瞬にして、学生たちの目が覚めた。
「うちのゼミに入ったからには卒業研究で何かしらの機器を製造し、卒業までに完成させて欲しい。とは言っても、あまり気負うことはないよ。世紀の大発明をしろと言ってるわけじゃないから」
草野がフォローを入れてみても、学生たちは困り顔のままだった。
「先生、少人数でグループを組んで共同製作するのはアリですか?」
「共同製作か。まあ、それでもいいかな」
「やったー!」
学生たちは安堵の声を上げ、仲のいい者どおしでグループを組み始めた。中村も4人組グループを作り、とりあえず一人で進めるよりは負担が減ったことでホッとした。
1限の残りの時間を使って、各グループで何を製作するのか議論が行われた。しかし、卒業研究のテーマの決定は今後を左右する重要な一歩目であり、身長にならざるを得なかった。したがって、どのグループも1時間足らずで結論を出すことは叶わなかった。
「仕方ない。2週間もあるし、まずは今日、明日を使ってできるだけアイデアを出しまくろう」
中村のグループは、メンバー全員が明日の2限に空きがあり、その時間にまた集まることになった。
その日、中村は1日を通して卒業研究のテーマに悩まされた。図書館に行き様々な本を読んでみたが、これといったアイデアも思いつかなかった。気分転換も兼ねて、わざわざ遠回りして帰宅してみても何もインスピレーションは湧かなかった。結局頭を抱えながら床についた。
中村は夢を見ていた。いかにも、深夜のテレビで放送されそうな、子供に悪影響を与えるような内容だった。まだ続きを見ていたかったが、暑さのせいか寝苦しくて起きてしまった。
「ふふふ、また一歩大人の階段を上がった気がする。でも、何でゆっきーなんか出てきたんだろ。好きでもないのに」
ゆっきーとは最近人気が出てきたアイドルグループ、PINK GRAPES、通称ピグのメンバーの池田優希のあだ名だ。特にアイドルに興味はなかったが、この夢を見たことが中村の将来を変えるきっかけとなった。
「ゆっきーが出てきたことはさておき。今の夢、もう一回見たいな。あーくそ、録画できてればなぁ」
中村は自分の発言にハッとした。夢の録画。過去にない発想だった。
「そうだ。卒研はこれを造ろう。夢の録画装置を造って、みんなを驚かせてやろう。もし実現すれば、世界に二つとない素晴らしい映像が……ふふふ」
何かが、中村の心に火を点けた。
翌日の早朝から、中村は忙しかった。まずは、先日組んだ卒研製作メンバーに謝罪の電話を入れた。
「ごめん。俺やっぱ一人でやることにした。自分一人で造りたいモノができたんだ。本当にごめん」
他のメンバー3人は、まだテーマすら決定していないこともあり、中村のメンバー脱退を承諾してくれた。
それから中村は録画装置を造るための資料収集に努めた。電磁気学、電子工学、システム工学、情報科学に関するデータを集め、大まかな製造マニュアルを作成した。次に、装置に必要な資材をかき集めた。電気街を歩き回り、より安くて質の良い部品を探した。
苦労した甲斐もあり、当初の作業工程よりも早く造り上げることに成功した。中村はその試作品をTARD-SYT0001と命名した。この録画装置はごくシンプルな造りになっている。市販のHDDレコーダーと似た形状の黒い箱型の録画媒体。その箱の後面から伸びる4色のコード。そのコードと繋がるヘッドセット。これを被った状態で見た夢を映像として変換し、本体の録画媒体に記録される仕組みだ。ただし、この装置はヘッドセットを装着した者が眠りに入ると自動で起動する。起動と同時に録画も始まる。人が目覚めるとそこで装置はシャットダウンする。夢を見ていない場合は何も映らず、映像をテレビなどに繋げて観ると画面は真っ暗なままである。
中村は正常に作動するかどうか、自分で実験した。
「イイ夢見られますように」
望むような夢を見られるように、中村は本棚にある漫画雑誌の間から世界遺産を扱うが如く一冊の雑誌を持ち出した。それを枕の下に置き、夢の録画の準備を整えて就寝した。
しかし、中村の願いは届かず、録画は失敗していた。
「あーくそっ!せっかくイイ夢だったのに」
映像を確認してみると、画面にはノイズが多く、音声がほとんど入っていなかった。
「まあでも、一回で成功するわけないよな」
中村は覚悟していたように装置の復旧作業に取りかかった。分解して、部品が正しく接続されているかチェック、再度組み立てて作動するかを確かめる。
「……ダメだ、寝れない。明日にするか」
その後も、実験しては失敗し、装置をバラしては造り直す。そして実験する。中村は根気強く繰り返した。一時期、造り方から間違っているのかと疑心暗鬼になり、電子回路を組み換えたり、様々なパーツを足しては引いてを繰り返していた。試行錯誤する過程で、自分の作ったマニュアルに問題点を見つけた中村は、すぐに修正したことでぐっと成功に近づいた。
「よしできた。えっとこれは83回目だから、TARD-SYT0083か。今度こそ録れてくれよな」
ちょうど日の出頃、中村は数々の失敗を経てTARD-SYT0083を造り上げた。あとは、録画がきちんとできていれば完成となる。夜通しの作業でよほど疲れていたのだろう。中村はヘッドセットを装着して10秒とかからず眠りについた。
中村が目覚めたのは昼過ぎだった。
「ふあぁ、良く寝た。……悪くない夢だったな。続きも気になるけど、ひとまず録画できてるかチェックしとくか」
装置をテレビに繋いで映像を確認してみると、大部分は深い眠りのためか真っ暗だった。しかし、録画されている映像の残り2、30分には中村が夢で見たものと同じ光景が記録されていた。鮮明で音声もバッチリだ。実験は成功。夢の録画装置は完成したといっていいだろう。
中村は草野や同じゼミの学生たちに見せることにした。この日の5限に集まりがあり、そこで製作発表をする予定だ。
中村は大学へ向かう前、録画した映像を編集し、動画投稿サイトに投稿した。動画のタイトルは「俺の夢」、投稿者の一言欄には「夢にまで見た夢が叶った」とだけ書いて投稿し、中村は30分だけ、再生回数やコメント欄をチェックしていた。
中村の見た夢は、アイドルグループ、PINK GRAPESの池田優希と二人っきりでユニバーシティランドでデートするという内容だった。
「またか」
中村は、デートの相手が池田という点だけが唯一の不満だった。
夢は中村と池田がジェットコースターに乗り、悲鳴を上げているところから始まった。
「ねえ、次はあれに乗ろうよ」
「今度はあそこに行きたいな」
夢の中の中村も特に池田を好いているわけではなく、池田の我がままに仕方なく付き合っているようだった。それでも相手がアイドルだからか、中村も満更でもない様子で、何だかんだデートを楽しんでいた。
日中、二人はユニバーシティランドを存分に堪能した。ジェットコースターでは絶叫し、お化け屋敷は駆け抜け、ポップコーンを頬張った。日が暮れる頃には、二人ともくたくただった。
ランドデートを満喫した二人は、隣にあるユニバーシティホテルに泊まった。部屋の窓からは、隣のランドで催されているパレードを見ることができた。電飾が色彩豊かに光を放ち、華やかな衣装に身を包んだダンサーたちを先頭に、来場者たちも楽しそうに踊っていた。
「楽しかったね」
「そうだね」
「夜景、綺麗だね」
「でも君の方が」
「やだ。もう何言ってんの」
「冗談だよ」
「ちょっと!それはヒドくない?カズ君」
二人っきりの部屋で楽しげに会話をしているところで、夢は終わっていた。
中村は大学の研究室に着くまで、始終ワクワクしていた。期待と笑顔が絶えなかった。
「みんな驚くだろうなぁ」
中村は元気良く研究室のドアを開けて入ると、草野以外のゼミのメンバー全員が揃っていた。嬉々として説明を始めた中村は、録画できていた先程の映像を全員に見せた。
「どう?俺、頑張ったっしょ?」
中村を賞賛する声が上がった。
「すげえ」
「これを一人で……」
「カズ君、かっこいい」
「カズ君って呼ぶな」
中村は有頂天だった。努力が報われたと思った。
「なあ、この動画、ネットにアップした?」
「え?ああ、したよ。今日の昼過ぎに」
「それ、このサイト?」
中村は手渡されたスマートフォンを見て、そうだと答えた。
「この動画上げたのお前か。これ、炎上してるぞ」
コメント欄を見てみると、大学へ向かう前に見た時にはなかったコメントが大量に書き込まれていた。
「なんだこの動画」「これ、ピグのゆっきーでしょ」「明らかにデートしてるよね」「いや、何かの企画だろ。変装してないし」「ゆっきーカワイイ」「アイドルのデート動画流出か」「プライベートなはずがない。俺は信じてる」「でゅるわぁあああひゃひゃひゃあああああ」「ピグって恋愛禁止じゃなかった?」「ゆっきーにいくら使ったと思ってんだあああ」「どうせ深夜番組で使われるVTRだろ」「ってか相手は?カズ君って誰?」「これはファンに対する裏切り行為だ」「はいはい。炎上商法炎上商法」「特定はよ」「生きるの辛い」「アイドルは大変だねぇ」「ゆっきーカワイイ」「ユニバーシティランドでデートか。変装なしとか勇気あるな」「カズ君、出てこいや!」「生ゴミでいいから生まれ変わりたい」「会話の感じからして、そんなに歳離れてない?」「まさに夢の国だな(タイトルにかけたつもり)」
「マジかよ……」
「ヤバくね?これ」
「とりあえず動画削除しとけよ」
「あ、ああ……」
中村は不安に潰されそうになった。さっきまでの元気はなくなり、一回り小さくなったようにすら見えた。そこに、草野とスーツの男が現れた。一同は二人に挨拶した。学生の一人が質問した。
「先生、その方は……」
「警察です。ナカムラカズユキさんはいますか?」
中村は一瞬驚き、おそるおそる手を挙げた。
「僕が中村ですが」
「動画の件でお話があります。警察署まで来てもらえますか?」
中村は逮捕されることを覚悟した。そして、どうか夢であってくれと願いを込めて頬をつねった。
「痛っ」
中村の目の前に広がっているのは、紛れもない現実だった。





この物語はフィクションです。

ペット

「お母さん!ねぇ、お母さん聞いて!」
美姫は帰宅するなりランドセルをポイっと廊下に放り、叫んだ。
「美姫、帰ったら『ただいま』でしょ。それと、物はもう少し丁寧に扱いなさい」
「それよらお母さん、聞いてよ!さくらちゃんがね、犬を飼い始めたの。柴犬?って言ってたかな。ふかふかしてて、すっごく可愛かったんだよ!」
「あら、そうなの?確かに柴犬って可愛いわよね」
母親の由紀に同調してもらえたことで、美姫の元気は倍増した。
「でしょ?あたしも柴犬が欲しい!ペットを飼いたいの。ね、いいでしょ?」
「ダメ」
由紀は当然のように反対した。
「どうせ世話をしなくなるでしょ」
「そんなことない」
このやりとりを幾度となく繰り返してきた。
美姫が我がままだということは由紀も理解していた。面白いと思ったものにはすぐに飛びつき、興味がなくなれば見向きもしなくなる。小学生のうちからこのような性格では将来苦労することは目に見えていた。美姫の両親も嫌われる覚悟で躾を厳しくしようとは思うのだが、一人娘だからか、どうしても強く叱れていなかった。
「ともかく、お父さんにも話をしてみましょう」
なかなか引かない美姫を前に根負けしそうになった由紀は、一家の大黒柱に美姫の説得を任せた。
その日の夜、美姫は父親を玄関で待ち構えていた。玄関を開けて入ってきたのが父親だと分かると、美姫は抱きついて訴えるのだった。
「お父さん!あたし、犬を飼いたい!」
リビングで家族会議が行われた。犬を飼いたい美姫とそれに反対する両親の争いは長く続いた。
「なぁ美姫、そもそもどうして急にこんなことを 言い出したんだ?」
「さくらちゃんの飼ってる犬が可愛くって、あたしも欲しいって思ったの」
「さくらちゃん?」
「橋本さんよ、あなた」
「ああ、橋本さんか。確かご両親とも教師で、さくらちゃんも真面目そうな子だったよな」
「ねぇ、いいでしょ?お父さん」
「いいやダメだ。ペットというのはお金がかかるんだぞ。餌やペットシーツ、予防接種とか病院にかかるお金だってバカにならないんだ。第一、美姫は今後一生、飼った犬の世話を続けられるのか?」
父親としての威厳を見せるため、美姫を泣かせるつもりで説き伏せようとしたが、美姫はそれでも食い下がった。美姫は半ば意地になっていた。
「大丈夫だよ。あたし、ちゃんとお世話するもん」
折れたのは両親の方だった。しっかりと目を見て抵抗してきた美姫の勢いに負 けた形となり、後日3人は最寄りのペットショップへ向かった。美姫はとにかく嬉しそうだった。
ペットショップは大型デパートの中にあった。1秒でも早くペットを選びたい美姫は、ペットショップが5階にあると知ると、両親の手を引っ張ってエレベーターに乗り、ボタンを連打した。
「そんなに押したら壊れちゃうでしょ。1回でいいのよ」
「だって遅いんだもん」
「連打すると余計に遅くなるよ。それに急ぐ必要はないだろ?動物たちが逃げるわけじゃあるまいし」
エレベーターを降りて少し歩くと、前方の右手側にペットショップの看板が見えた。今にも駆け出しそうな美姫の手を両親はぎゅっと握っている。休日で混雑しているので、はぐれないようにするためでもある。
ペットショップに近づくほどに、美姫のテンションが上がっていった。ついにペットショップの目の前まで来た瞬間、先程まであれだけはしゃいでいた美姫の動きがピタリと止まった。美姫は落雷に遭ったような衝撃を受けていた。
「ん?どうしたんだ?」
「……美姫?」
両親は美姫の視線の先を探した。
「可愛い……」
美姫はペットショップのショーウィンドウから見える店内の、1匹のウサギと見つめ合っていた。
「ねぇ美姫、あなたが飼いたかったのは犬じゃなかった?」
「あたし、あのウサギちゃんが欲しい!」
店内へ走っていった美姫を、両親は慌てて追いかけた。あの日の夜のことを持ち出してはみたが、美姫は主張を曲げなかった。
「この子が欲しい。犬だとさくらちゃんの真似をしたってバカにされそうだから嫌」
ウサギの方が安いし、散歩の手間も省けていいかと、両親は強引に納得してみせた。それに、可愛い娘がこう言うのであれば、二人は従うしかなかった。
美姫がウサギを見てうっとりしている間に、両親は店員からウサギの飼育についての指導を受けたり、書類にサインをしていた。
「1日に与える餌の量に気をつけてください。少なすぎるのはもちろん、多すぎると健康に重大な影響を与えます」
「その辺は人間と同じですね」
「はい。ですから、餌は1日2回。主に干し草とペレットをあげてください」
「ニンジンやリンゴは与えないんですか?」
「野菜や果物は時々おやつとして出す程度にしてください。栄養が偏ってしまいますので」
「あげちゃいけないものはありますか?」
「個体の好き嫌いもありますし、研究者の間でも意見の別れるところなので、ペットショップごとに答えが変わったりします。ですが、大部分のペットショップでは、ジャガイモ、ネギ、玉ねぎ、ニラ、アボカドなどは与えないように指導していると思います」
「なるほど。他に注意することはありますか?」
「水についてですが、毎日変えてあげてください。それと、器ではなく壁にかけるタイプの給水ボトルをお勧めします。床に置く器ですとウサギがひっくり返す場合もありますし、給水ボトルならば健康状態をチェックする一つの目安になります」
一通りの指導を受け、手続きを済ませた両親は、美姫と一緒にウサギの飼育に必要な備品を選んでいた。ペットショップに置いているものだけでは足りないと思い、デパート内を歩いて買い揃えることにした。
「そういえば、美姫はウサギちゃんの名前、どうするんだ?」
「あっ、決めてなかった。なにがいいかな」
「みたらし団子みたいな色をしてるし、みたらしちゃん、っていうのはどう?」
「お母さん、センスない」
「そ、そう?」
「じゃあ、今春だから、はるちゃん、ってのはどうだ?」
美姫は低く唸った。悪くないセンスだが、今一つピンと来ていない様子だった。
「思いついた!耳が大きいから、ミミちゃん!これに決定!」
「そのまんますぎない?本当にいいの?」
「いいの。みたらしちゃんよりずっと可愛いよ」
由紀は少し不満気だったが、美姫の笑顔でそれも許せた。3人は新しく加わった家族とともに、仲良く家路へ着いた。
家族が増えてから7日目。美姫は毎日ミミに餌を与え、水を変え、ブラッシングまでしていた。糞の始末は両親がこなしていたが、約束通り美姫はミミの世話を欠かさなかった。
両親がペットを飼う決断をしたことを後悔し始めたのは、それからさらに5日後のことだった。このところ、美姫は帰りも遅く、ミミの世話も疎かだった。最近の美姫はレースゲームに夢中になっていた。
「ちょっと美姫、今日まだミミちゃんに餌あげてないでしょ?」
「1日くらいあげなくても大丈夫だよ。それより今は話しかけないで。集中して……ああっ!誰よ、こんなトコにバナナ置いたの!?」
学校が終わると、友達の家にみんなで集まり、夜になるまでゲームで遊んでいた。美姫は家に帰ってもゲームをしている時間が増えた。自然とミミへの愛情も薄れていった。案の定、美姫はペットに興味を無くし、ミミの世話は両親がすることになった。
ある日、美姫は夢を見た。どこまでも続くただ真っ白で何もない空間に、美姫はいた。美姫が振り返ると、少し離れたところに薄茶色をしたサッカーボールほどの塊があった。間を置いて、美姫は気がついた。
「ミミちゃん?」
美姫の声に反応し、ミミが駆け寄ってきた。
「美姫ちゃんだ!久しぶりに遊ぼうよ!」
「うわっ!ミミちゃんが喋った!?何で?」
「ここが美姫ちゃんの夢の中だからかな。ウサギには分かんない」
「へぇ、そうなんだ。ふーん……」
美姫は辺りを見渡した。
「ねぇねぇ、どうして最近遊んでくれないの?寂しいよ」
「だってレースゲームの方が楽しいんだもん」
「そんなぁ……」
ミミは悲しさを露にした。捨てられたようで、とても切なかった。
「じゃあ、私とレースして。それで、私が勝ったらちゃんとお世話して」
「レースって駆けっこ?ヤだよ、疲れるもん。それにゴールはどうするの?何もないよ、ここ」
「あるよ。ほら、あそこに赤いコーンがある。先にあれにタッチした方が勝ちってことでいい?」
美姫がミミの向いている方角に目をやると、確かに赤いコーンが一つだけポツンと置いてある。今、美姫のいる場所からだいたい20メートルほど離れている。1回くらいなら、と美姫は勝負を受けた。結果はミミの圧勝だった。
「私の勝ちだね。約束通り、ちゃんとお世話してね」
「はいはい、分かりました。それよりここ、すっごく走りにくいから、もう走る遊びはしないからね」
「あれぇ?美姫ちゃん、それって負け惜しみぃ?」
ミミは冗談のつもりで言ったのだが、負けた悔しさから美姫はカッとなり、ミミを攻撃しようとした。ポケットに何かが入っていることに気づいた美姫は、それをミミにぶつけようとポケットに手を入れた。中身を取り出してみると、それはニンジンだった。
「ニンジンくれるの?美姫ちゃん、ありがとう」
我に返った美姫は、ニンジンから手を放した。ポトッと落ちたニンジンをミミは美味しそうに食べ始めた。美姫はその光景を静かに眺め、時折話しかけた。
「ニンジン好きなの?」
「うん。もっとちょうだい」
「干し草とかペレットは?美味しくなさそうだけど」
「野菜とか果物ほどじゃないけど、美味しいよ。食べてみる?」
「食べないよ。ウサギの食べ物なんか」
その後も度々、美姫の夢にミミは現れた。現実で相手にされない寂しさが募り、ピークに達すると、ミミは美姫の夢に現れるようだった。
美姫にとっては都合のいいことだった。現実では友達と楽しく盛り上がり、夜眠れば夢でミミと会える。すっかりペットに関心を無くしていた美姫だが、夢の中でミミと触れ合ってみると何だか面白く感じられた。それに夢の中では、現実ではできないようなことも簡単にできた。背中に翼を生やして空中レースをしたり、美姫の大好きなモンブランやミミの大好きなニンジンも食べ放題だった。何より美姫にとってもミミにとっても重要だったのは、会話ができることだった。美姫は話しかけてもミミが返事をしないので、飽きてしまった。そんな美姫を見て、ミミは落ち込んでいたのだった。
ミミとしては、現実でも遊んで欲しいと思っていたが、美姫は専ら夢の中でしかミミに興味を示さなかった。
「ねぇ、あなた。温泉にでも行かない?」
「どうしたんだ、急に」
「この頃どこへも出かけてないから、遠出したいなって」
「あたしも温泉行きたい」
「そうだな、久々に旅行するか」
「あっ、でもミミちゃんのお世話はどうする?お隣さんに預けるのも申し訳ないし」
「知り合いで誰か面倒見てくれる人がいないか、探してみるよ」
「大丈夫だよ。あたしがちゃんとお世話しとくから」
「何言ってるの。美姫も行くんだから、そんなことできないでしょ」
「ちっちっちっ、あたしならできちゃうんだなぁこれが」
不思議がる両親に、美姫は説明した。
「あたし、夢の中でちゃんとミミちゃんのお世話してるんだぁ」
「どういうこと?」
「嘘つけ」
「嘘じゃないよ。ミミちゃんが食べたいって言うから、ニンジンいっぱいあげたり、一緒に遊んだりしてるんだよ」
「ニンジンいっぱいって……。ペレットもちゃんとあげてるのに、そんなに食べられるの?」
「ウサギはあげただけ食べちゃうんだよ。だからペットショップの店員さんも餌の量に気をつけてって言ってたんじゃない?」
両親は半信半疑だったが、美姫に上手い具合に言いくるめられた。ミミの面倒を見てくれる人も見つからず、最終的には美姫の言うことを信じるしかなかった。念のため、両親は多めに餌と水を用意し、家族3人で3泊4日の旅に出た。
家を出る前日、美姫の夢にミミが現れた。そこで美姫は明日から旅行で3日間は帰らず、4日目の夕方か夜には帰ることをミミに伝えた。
「何かあったら夢に出てきて言ってね」
「分かった。いってらっしゃい」
旅行の1日目も2日目も3日目も、美姫の夢にミミは現れなかった。毎日現れるわけではないし、餌も水もあるからのびのびしているんだろうと、美姫は特に気にしなかった。両親が尋ねてきても、大丈夫そうだと能天気に答えた。
旅行の4日目、3人が家に着いたのは日が暮れてからだった。父親は疲れて玄関でぐったりしていた。美姫と由紀は荷物をリビングへ運んだ。ミミを最初に見つけたのは由紀だった。
「ただいま、ミミちゃん。寂しかった?」
触れてみるとミミは冷たくなっており、由紀は悲鳴を上げた。それを聞いて飛んできた美姫も、ミミに触れて事態が飲み込めると泣き喚いた。
「うわあああっ!お父さぁんお母さぁん新しいペット買ってえええっ!」





この物語はフィクションです。

リベンジリボルバー

「おい、何読んでんだよ」
僕が自分の席で大人しく本を読んでいると、いつものように上田たちが絡んできた。上田悠人、松阪弘太、日高一平。3人はこのクラスの不良ポジションにいる。そんな奴等が積極的に僕をいじめるので、クラスメイトたちはいつも見て見ぬフリをする。
松阪は僕が持っていた本を取り上げた。ここで下手に反抗してまた殴られるのは嫌だから、されるがまま、飽きてくれるのを待つしかない。
「『魔法学校に受からない』?なんだよ、これ。どんな話だよ。面白いの?」
魔法少女を目指してる女の子が、魔法学校に入学するために努力する話だよ」
「あれだろ?萌えってやつだろ。ほんとキモいんだけど。なあ、悠人?」
「魔法の勉強か。案外おもしれぇかも。おいウチュー、箒持ってこいよ」
何度言えば分かるんだ。僕の名前はウチューじゃない、山本宇宙だ。けど、親からもらった大切な名前だとは思っていない。
この名前は世間で言うところのキラキラネームだ。そりゃそうだ。『宇宙』と書いて『あーす』と読むなんて、どんな神経してるんだ。宇宙ならせめてスペースとかコスモスだろう。アースは地球だ。中学生の僕でも分かることなのに。
言われた通りに箒を持ってくると上田は、
「それ持って飛べよ。ほら、魔法の勉強したんだろう?」
「できるわけないだろ。これはフィクションなんだから」
「んだよ。つまんねーな」
上田は箒を握り、僕の顔を箒の先端で突き始めた。
「なんか面白いことやれよ、ほら」
痛い。僕が嫌がって顔を背けると上田は何かを思いついたのか、口元を緩めた。嫌な予感がした。
「弘太、一平、今日弁当?」
「いや、購買でパンでも買おうかと思ってたけど」
「俺もそのつもり」
「ちょうどいいや。俺もだから、飯代賭けてゲームしようぜ」
「ゲーム?どんな?」
「ウチューを黒板の前に立たせて、ウチューの口ん中にチョークを投げ入れんの。最初に入った奴と2番目の奴は最後の奴に全額おごってもらえる。で、買いに行くのは2番目の奴。どう?やる?」
「マジか。ビリなら3人分か……」
「いいよ。やってやろうじゃん」
渋る松阪を上田と日高が説得する。結果、松阪もゲームに参加することに。くそっ、簡単に乗せられやがって。
「よし、じゃあ始めよう。おいウチュー、口開けて黒板の前に立てよ。もっと大きく開けろよ」
何で僕がこんなことしなくちゃいけないんだよ。誰か助けてくれ。的なんて黒板に書けばいいだろ。こいつら絶対手加減なんかしない。どうするんだよ、目に当たったりしたら。間違って飲み込んだらどうするんだ。やめてくれ……。
「せーの!」
1回戦。横一列に並んだ3人が同時にチョークを僕の口に投げ入れようと腕を振った。僕から向かって右側にいた上田の投げたチョークは、右耳に触れるか触れないかのギリギリを通過して黒板に当たり、弾けた。
真ん中の松阪が投げたチョークは、ちょうどお腹の辺りに命中した。学ランを着ていたので全然痛くはなかった。
しかし、僕から向かって左側にいた日高の投げたチョークは、僕のおでこに当たり、少し欠けた。
「痛ってぇ……」
たまらず、その場にうずくまってしまった。
「あー惜しい。もうちょい下か」
「ちょっとハンデくれよ。俺あと3歩前出ていい?」
「ダメだ。おい、早く立てよ。まだ終わってねぇぞ」
あの後、先生に見つかるまでに6回戦まで続いた。顎に1発、頬には3発当たった。そして、最後の6回戦で上田の投げたチョークが口に入ってしまった。歯にかすることもなく、キレイに奥まで侵入してきた。むせずに飲み込んでしまった。お腹を壊したらどうするんだと心の中で怒りはしたが、3人は生活指導の先生にみっちり説教されていたし、とりあえずすっきりした。
放課後。上田たちに、ゲームの続きやろうぜと呼び止められやしないかとビクビクしていた。けど、どうやらサッカー部に遊びに行くらしい。ホッとした。今日はもうあいつらのオモチャにされずに済むんだ。
安堵の息を吐いた瞬間、急に、ぎゅるぎゅるという音とともにお腹に痛みが。くそっ、絶対チョークのせいだ。何で今頃になって……。コンビニは……そうだ、あの交差点を左に曲がればすぐだ。自然と早足になる。信号変われ!早く青になれ!
間に合った。コンビニがあと一軒先だったらアウトだったかもしれない。用も足したし、お腹の痛みも引いた。早く帰……。
「何だ、これ」
入ってきた時は焦っていたから気づかなかったが、個室トイレの棚に何か黒い物体が置いてある。何だろう。革製品っぽいが財布にしては形が歪だけど。
「えっ」
中を見て、驚きのあまり声が漏れてしまった。これ、拳銃じゃん。弾も装填されてる。モデルガン……じゃない!王冠のマークが入ってない。じゃあ本物の……。ど、どうしよう。下手に触って暴発したら大変だし、早く警察に届けた方がいいよな。
でも、これがあれば……。こいつであいつらに復讐できる。そうしたら、あの地獄のような毎日から解放される、もういじめられないで済むんだ。平和な日々が、送れるんだ。
やろう。ここしかないかもしれない。ここで手放したら今後二度と機会に巡り会えない気がする。やるしかない。
銃を鞄に仕舞い、僕は足早に帰宅した。覚悟が固まったからには絶対に成功させたい。頭の中でシミュレーションを繰り返した。弾は5発しかない。無駄にはできない。あいつらのことだ。銃が本物かどうか疑うはず。威嚇で1発。3人にそれぞれ1発ずつ撃って3発。そして予備の1発、で合計5発だ。失敗はできないから、なるべく近づいて撃たなきゃ。
その後もシミュレーションを繰り返した。明日は土曜日。部活で来る生徒もいるだろうが、平日よりは少ないし大丈夫なはず。明日やろう。
そして、運命の日。
学校の屋上で上田たちを待っている間に、冷たい風が吹き始めた。背中を丸めながら寒さに耐えていたけど、もうすぐ暴力から解放されるのだと思うと、別段ストレスも感じなかった。3人への復讐のことで頭がいっぱいで、他のことは何も考えられなかった。
懐にしまってある銃を服の上から撫でる。ある。ちゃんとあるぞ。後は上田たちが来れば……。
その時、ドアを乱暴に開ける音とともに上田が屋上に現れた。上田はそのまま何も言わず、無表情のまま、僕に向かって歩いてくる。やばい。やっぱりキレてる。威嚇射撃しないと。僕は焦って銃を取り出そうとすると、上田の足が止まった。
「こんなところに呼び出してどういうつもりだ」
「は、話があるんだ」
「何でてめーの話を俺様が聞かなきゃいけねえんだよ」
「上田だけじゃない。松阪と日高にも話があるんだ。3人に話したことがあるんだ」
「わざわざ土曜日に呼び出してまでするような話なんか、お前にねえだろ」
「あ、あるよ」
「じゃあとっとと話せよ。俺はお前と違って暇じゃねえんだよ」
「3人揃うまで待ってくれ」
「この野郎……ウチューの分際でこれ以上怒らせるんじゃねえよ!」
上田が一歩、また一歩と僕へと接近してくる。今度こそは撃たなきゃと思い、僕は懐に手を伸ばし、銃を取り出した。焦りと恐怖とで手が震えている。ダメだ。しっかりしろ。一度深く息を吸い、吸った息を全て吐き出す。もう一度、スゥー、ハァー。
それでも、完全には震えは止まらなかったが、幾分落ち着きは取り戻せた。僕は上田を真っ直ぐ見据え、銃のグリップを握り直した。
「どうせ偽物だろ?おもちゃの銃で俺に勝てると思ってるわけ?」
やはり上田はこの銃を偽物だと思っている。本物だと証明しなくては。僕はトリガーを引いてハンマーをあげた。これで発射準備は完了だ。
僕は銃を上田に向け、トリガーに指をかけた。
「おいおい、お前の頭はどこまでお花畑が広がってんだよ」
上田がまた一歩踏み出した瞬間、僕は銃口を地面に向けてトリガーを引いた。
パーン。
乾いた発砲音が屋上に、校庭に、上空に響き渡った。この銃は本当に本物だった。正直、僕も驚いたが、それ以上に上田も驚いていた。開いた口が塞がっていなかった。上田のこんな間抜け面を見るのは初めてだった。
「嘘だろ……」
想像以上に驚いてくれた。あまりに衝撃的すぎて、逆に信じられなくなっていないか不安だ。無理もないけど。
「こ、これで信じてくれただろ。この銃は本物だ。だから、大人しく僕の話を聞いてくれ」
言い終えた直後、屋上へのドアが開き、松阪と日高が現れた。グッドタイミングだ。
「おい、何だよ今の音。悠人、何か知ら……」
松阪と日高は上田の側まで駆け寄ると、音の正体に気がついた。
「悠人、これ、どういう状況?」
「ウチューが俺ら3人に話したいことがあるんだと。お前ら、分かってると思うが、絶対手出すなよ。あの銃、本物だぞ」
「じゃあさっきの音ってまさか……マジかよ……」
「こいつ……」
全員揃った。上田が最初に来てくれたおかげで、威嚇に1発しか使わずに済んだぞ。後から来て、松阪や日高の制止を振り切って突っ込まれたらもう1発必要だった。少しでも余裕があると安心できる。
さあ、さっきの銃声で大勢に来られても困るし、早く終わらせよう。
「3人とも、並んで座ってくれる?」
「調子に乗りやがってこの野郎」
「やめとけって悠人」
相当頭にきているのだろう。松阪が止めなければ、上田は今にも僕に殴りかかってきそうな勢いだ。さっきからいつになく大人しくしている日高が不気味で、気を抜いた隙に突っ込まれても恐いから、真っ先に始末しようかと思った。けど、やっぱり一番憎い上田から……。
「手を頭の後ろに」
僕は数歩、上田に歩み寄った。近づきすぎて反撃されるのも恐いが、遠すぎて弾を外すのも恐い。およそ6、7メートル?もう少し短いかな。でもこれくらいならちょうど良い間合いだろう。
「話っていうのは、そんなに複雑じゃない。君たちが来る日も来る日も僕をいじめるから。だからいつか復讐してやろうって思ってたんだ。そんな時にこの銃を拾って、ようやくチャンスが巡ってきたと思って君たちを呼び出したんだ」
そこまで言って、一呼吸する。やっと念願が叶うんだ。焦ってはいけない。いじめから解放されて、自由な生活が送れるんだ。ゆっくり、落ち着いて。
「話はこれだけ。それじゃ、さよならだ」
僕は銃口を上田の頭に向け、トリガーに指を置いた。
「じゃあね」
上田に別れの言葉を告げ、トリガーを引いた。
パーン。
よし、次は日高だ。いつ襲ってくるか分からないからね。とっとと始末しなきゃ。今度は銃口を、視線を日高に向ける。じゃあね、と言いかけたところで、何か違和感を抱いた。おかしい。何か変だ。僕は視線を上田に戻すと、その答えが分かった。
「そんな……どうして……」
どうしてまだ上田が生きてるんだ。撃たれて死なない?そんなまさか……。
上田も自分がまだ生きているのが不思議な様子で、両手で身体をまさぐり、撃たれていないことに驚いていた。そうか、僕は外してしまったのか。この距離で。まずい。次こそ当てなきゃ。
狙いをきっちりと上田の頭に定め、今度こそと願い、撃った。
パーン。
外れる。くそっ。当たれ!
パーン。
外れる。残り1発。
パーン。
そんな……全部外れるなんて……。
僕が脱力して銃を下ろすと、3人はゆっくりと立ち上がった。最初に走り出したのは日高だった。ああ、やっぱりな。反撃のチャンスを窺ってたんだ。上田と似て、好戦的だもんな。
こんなこともあろうかと包丁を買っておいて良かった。
勢い良く駆け出し、殴ろうと腕を振りかぶった日高に対して、僕は包丁を取り出して両手でぎゅっと握りしめた。突っ込んできた日高の腹に包丁が刺さった。日高の身体から力が抜けていくのが分かった。包丁で刺すことも想定していたとはいえ、実際に人を刺してみると、言い様のない恐怖が少し湧いてきた。
日高から包丁を抜くと、日高は膝から崩れ落ち、冷たいコンクリートに横たわった。そこに松阪が駆け寄ってきて必死に呼びかけている。あれ、上田は来ないのか。どうしたんだろう。
上田に目をやると、さっきまで座っていた場所から一歩も動いていない。どうやら足がすくんで動けないみたいだ。そうだ、まだ復讐は終わっていない。今が最後のチャンスだ。
「うわあああああ」
全速力で上田のとこまで走って、全力で包丁を上田の腹に突き刺してやった。急なことで反応できなかったようだ。何の抵抗もされず、一思いに刺せた。包丁を抜くと、上田もうつ伏せに倒れた。地面な少しずつ鮮血が広がっていく。
そうだ。松阪も。僕は半ば無意識に、未だ日高に声をかけ続けている松阪の方を向いた。僕は何かに取り憑かれたように歩いて松阪に近づき、松阪の背中に包丁をドスっと刺した。引き抜くと松阪も倒れた。
終わったんだ。いじめから解放されたんだ。復讐を遂げたという達成感からか、上田たちがいなくなったという安心感からか、ふいに身体の力が抜けた。包丁が手か滑り落ち、金属音を立てた。
僕は本当に自由になれたのかな。
静かで平和な生活を送っていたのに、それが突然、理不尽な暴力に曝されて。僕は銃を拾ったことをチャンスだと思った。上田たちがいなくなれば、平和な日々が戻って来る。そして今度こそ、それがずっと続くと思っていた。
復讐を終えた今、冷静になってみると、それもただの願望だったんだと分かった。こんなことをやらかせば僕は普通には生きていけないだろう。たとえ、上田たちがいなくなって、これから先、上田たちのようにいじめをしてくる奴らが現れないとも限らないんだ。
僕は、戦わなきゃいけなかったんだ。上田たちと、いじめと。それが無理なら、徹底的に逃げ回る。上田たちから、いじめから。どちらにしろ僕は、選択を間違えてしまったんだ。
僕が本当に撃つべきだったのは上田たちじゃなく僕自身だった。あの時に気づけていたら。
そうだ。今からでも遅くない。まだ、自由は手に入るはず。そう思って僕は、屋上全体を囲んでいるフェンスを乗り越えた。そして、自由への一歩を踏み出した。





この物語はフィクションです。

惑星サミット

とある国の大統領官邸に一通の手紙が届いた。
「閣下、スズス星からの通知です。来月行われる惑星サミットの案内のようです」
「そうか、もうそんな時期か。あの星のチーズはとても美味しいからなぁ。一つの店のチーズ、全部買い占めちゃおっかな」
「いけませんよ、閣下」
「ハハハ、冗談だよ。参加する旨をきちんと伝えておいてくれるか?」
「かしこまりました」
西暦3333年。科学技術の目覚しい発展により、宇宙開発は急速に進歩していった。人類は、地球から数10万光年も離れた所にあるいくつもの惑星を発見した。それだけでなく、探索を続けることで、様々な生物、鉱物、食物、文明なども発見した。地球人は異星人たちとの争いを乗り越え、様々な条約を締結し、平和的に共存を図っていた。最初こそ小さないざこざはあったが、互いに腹の内を見せ、一歩ずつ歩み寄ることで、徐々に相互の親睦を深めることに成功した。
一年に2回、互いの星のさらなる発展のため、条約を結んだ星の代表者たちが集まって会議を行う。それがいわゆる惑星サミットだ。この会議には、様々な星が参加し、その星の代表者たちが約20人ほど出席する。開催する星は予め決まっていて、永世中立星のスズス星で行われ、司会・進行役などもスズス星から選出される。
会議当日。続々と、参加者たちが円卓のある広い会議室に足を踏み入れ、会議前の挨拶を交わし、談笑している。会議開始20分前。地球の代表者たちが揃って会場入りした。
「こんにちは、セントロさん」
「これはこれは、レストンさん。お久しぶりです」
地球の代表者たちは、入口の近くにいる代表者たちから順々に挨拶をしていく。
「最近、ゴルフ行けてますか?」
「いやー、忙しくてなかなか行けてませんね」
「では、来月あたり、ご一緒しませんか?」
「いいですな。あ、ですが、来月の上旬はフェッツ星とその周辺の惑星訪問が続くので、中旬以降でよろしいですか?」
「もちろん、構いませんよ。コースはグリス星のハヤシコースでいかがでしょう」
「あそこは緑が綺麗で素晴らしいコースですからね。問題ありませんよ」
地球の代表者たちが挨拶回りをしている間に、会議開始時刻となった。
「お集まりの皆様、まもなく本日の惑星サミットを開始致します。ご着席ください」
司会・進行役のスズス星の一人がアナウンスし、いよいよ惑星サミットが幕を開ける。
「皆様、遠路遥々お越しいただき、誠にありがとうございます。私、本会議の司会・進行を勤めさせていただきます、スズス星ロモン共和国のナーナと申します。よろしくお願い致します」
ナーナは隣にいるもう一人の司会・進行役にマイクを渡す。
「同じく、本会議の司会・進行を勤めさせていただきます、スズス星ローザンヌ共和国のハリと申します。よろしくお願い致します」
ハリはそのまま会議の趣旨を述べる。
「本日の議題は、自星における他惑星住人の犯罪についてです。年々、僅かではありますが、その犯罪率が上昇しております。皆様方の星における犯罪の現状について報告していただき、今後どのような対策をなされるのか、お考えをお聞かせください。まずは、ブリトリ星の代表者様からお願い致します」
「はい。我が星の犯罪の現状についてですが……」
ナーナとハリに促され、各星の代表者たちが、予め用意してきた資料に時々目をやりながら報告していく。
「……というように、我が星では軽犯罪が目立ちますので、今後は、街の防犯カメラや巡回ロボットの台数を増やす計画を立案中です」
ここでようやく、参加している星の半数が報告を終えた。約10分間の休憩時間が設けられた。トイレに行く者もいれば、外の空気や煙草を吸いに行く者もいる。休憩はあっという間に終わり、参加者たちが再び会議室に集合する。
「それでは、会議を再開します。続いて、トゥーピ星の代表者様、お願い致します」
「はい。我が星では、10年前と比べ軽犯罪も重犯罪も倍近く増えております。ここで注目していただきたいのは、犯罪の件数もそうですが、いったい誰が罪を犯しているのか、という点です。我が星の国際警察の調査によりますと、最近地球人による犯罪が増加していると」
地球の代表者たちは、揃ってしかめっ面をした。そのうちの一人が凄むように、
「何かの間違いでは?」
と言うと、トゥーピ星の代表者たちは一瞬怯んだ。さっきまで発言していたトゥーピ星の代表者に代わり、別のトゥーピ星の代表者が報告を続ける。
「最近増えている犯罪の中で、特に目立つのは麻薬です。トゥーピ星では、土壌などの関係で麻薬は大変育ち難いのです。にも関わらず、麻薬を所持しているトゥーピ星人が増えているのです。逮捕した者に話を聞いてみると、半数近くが地球人から買ったとの調査結果を受けております」
このトゥーピ星の代表者たちの話を聞き、まだ報告を終えていない星の代表者たちが、私たちの星でも地球人による犯罪が増えていると一斉に発言し始めた。
「私たちの星では、逆上し、警察官に手を上げる地球人がいる。法律違反で警告を受けたり、逮捕された時に『俺の星では当たり前の行為なのに、なぜ注意されなきゃいけないんだ!』とか『私の星では法律違反ではない。これは不当な逮捕だわ!人権侵害よ!』と声を荒らげ、すぐに騒動を起こす者までいる始末。このままでは状況は悪化するばかりだ。早急に地球の代表者の方々には、具体的な解決案を提示していただきたい」
こういった地球人の暴挙を問題視している星が多く、この意見に賛同する星の代表者たちの野次が会議室に飛び交った。ナーナとハリは焦り、とりあえずこの場を落ち着かせようと声を震わせながらアナウンスした。
「み、み、皆様、せ、静粛に願います」
「い、今はまだ各惑星の報告の時間でございます。後ほど、意見交換の時間を設けてありますので、他惑星への助言等はその際にお願い致します」
二人の努力も虚しく、会議室の沈静化には至らなかった。野次を飛ばしていた代表者のうちの一人が、地球の代表者たちに顔を向けた。
「さっきから黙っているが、何か策はありますか?地球の代表者様方」
そう言われた代表者の一人が声を上げた。
「どんなに小さな法律でも違反した者は即刻強制送還させる、というのはいかがでしょうか」
それで納得する者もチラホラいたが、大多数が低く唸り、考え込んでいた。その大多数のうちの一人が、
「それだと犯罪者を減らす根本的な解決はできないのでは?」
と発言すると、地球の代表者の一人はたまらずこう返答した。
「では、我々にどうしろと仰るのですか?皆様の率直なご意見をお聞かせください」
この場に正答できる者など、ただの一人もいなかった。





この物語はフィクションです。

みんなのサンタ

12月20日金曜日。雪こそ降らないものの、肌を突き刺すような寒さが続いている。天気予報によると、来週はいよいよ雪が降るようだ。人々は今年はホワイトクリスマスになるぞと喜びを表にする。キリストの誕生を祝う祭りを前に、待中が賑やかになる、そんな日の出来事。
泉は、今や全国に200店舗も構えるデパート、アールマートの販売員。ケアレスミスが多く、仕事が長続きしなかったが、ようやくアールマートの制服が板に付いてきた。今日も与えられた仕事を粛々と熟していく。
「777円のお返しです。ありがとうございました」
この売り場に配属されて間もない頃は、レジの操作方法が分からずによく混乱していたが、今ではお手の物。先輩に泣きつくこともなくなった。
「泉ちゃん、レジ打ちもだいぶ様になったわね」
「先輩のご指導のおかげです。今では目を目瞑ってもできますよ」
「目は瞑らなくていいから。慣れてきた頃が一番危ないのよ」
「はい……」
成功が続くと、人間誰しも油断してすぐに調子に乗る。先輩はそれを十分に理解しているからこそ、可愛い後輩のために心を鬼にして叱るのだ。先輩は過去にその油断から来るミスによって、店側にも客側にも大きな損害を与えていた。連日、客からの苦情への対応に追われたり、同じフロアで働く従業員から白い目で見られたりした。プレッシャーに押し潰されそうになる毎日を何とか乗り越えられたのは、当時同じ売り場で働いていた現フロア長の援護のおかげであった。
時刻は午後5時を15分ほど回ろうとする頃。このデパートの地下1階にある食料品売り場はとても充実しているため、各階でショッピングを楽しんだ後、夕飯の買い物をしていく人が多くいる。この日もタイムセールが始まる前に食料品売り場へ行こうと、今している買い物の会計をしようと、各売り場のレジには客の列ができていた。
泉は幾度となくこのタイムセール前の行列を経験してきているので、例によって焦らず、且つスムーズに客を捌いていく。その接客中に泉はきょろきょろと周りを見ながら歩いている一人の男の子を発見した。
「迷子……かな」
今すぐ声をかけなきゃ、とは思いつつも、目の前の客を捌くのが先決。泉はレジ打ちのスピードを上げ、その上で丁寧さを欠かさないように努めた。客を捌き終え、先輩に迷子かもしれない男の子がいたことを伝える。
「気付かなかったわ。ちょっとその子を探してきてくれる?」
先輩から持ち場を離れる許可をもらった泉は、男の子が歩いていった方へ顔を向けると、その男の子がこちらへ向かって辺りを見渡しながら歩いてきている。2人は男の子に駆け寄り、迷子かと尋ねると、黙って頷いた。先輩が「名前は?」と訊くと、男の子は今にも泣き出しそうな顔で声を震わせながらこう答える。
「こばやしけんたです」
先輩はケンタを泉に任せ、急いで迷子センターへアナウンスの要請に向かう。
泉はケンタを安心させようと、ジュースを買ってきたり、休憩スペースでお話しをしようとケンタに伝える。そこにはテーブルやベンチが数脚、自販機や近くの小学校の児童の絵画が展示されている。
「迷子のお知らせです。只今、婦人服売り場にてコバヤシケンタ君をお預かりしています。お連れ様は至急婦人服売り場までお越しください。繰り返します。迷子の〜」
先輩が迷子センターへ向かってからこの店内放送が流れるまで、そう長い時間はかからなかったが、ケンタは泉と一緒にいるうちに、少しずつ落ち着きを取り戻し、さっきまで目をうるうるさせていたのが嘘のように、笑顔をこぼしながら親が来るのを今か今かと待ちわびている。泉はケンタにもう少しで迎えが来る旨を伝え、先の店内放送によって途絶えたとりとめのない話の続きをすることにした。ケンタは、最初こそ訊かれたことに「うん」と肯定するか「ううん」と否定するか単語一つで返答していたが、徐々に口数が増えてきた。そしてクリスマスが近いだけに、話題はサンタへ。
「ケンタ君は今年はサンタさんに何をお願いするの?」
「サンタなんかいないよ。おとうさんとおかあさんがオモチャやで買ったものをまくらもとにおいてるだけだよ」
ケンタは、それまで見せていた明るい笑顔を一変させ、とても暗い、まるで大切な人を殺されたような表情を浮かばせた。泉は一瞬焦り、マズいことを訊いたと後悔した。しかし、子供を悲しませてしまった罪悪感よりも、サンタを信じない理由が知りたいという好奇心が勝ってしまい、泉はつい、その理由を問い質してしまう。
「どうしてサンタさんを信じないの?」
「アキラ君がサンタなんかいないって。アキラ君はぼくがサンタはいるっていうと、指を差して笑うんだ」
「アキラ君って誰?そんな酷いことをする子がいるの?」
「3組の子。よくわるいことをして先生におこられるんだって」
「そうなんだ」
「アキラ君のともだちもみんな信じてないっていってたから。やっぱりサンタなんかいないんだよ」
「そんなことない。サンタさんはいるよ」
「そんなのウソだよ……。だってアキラ君の家にはサンタはこないって……」
「ケンタ君、それはね、アキラ君が悪いことをしているからだよ」
「え?どういうこと?」
「サンタさんはね、お利口さんのところにしかプレゼントを届けに来ないの」
「おりこうさん?」
「良い子にしている人のこと。アキラ君はよく怒られるんだよね?」
「うん」
「プレゼントは良い子や頑張っている子にしか配られないの」
「サンタさんは、だれがいい子で、だれがわるい子かわかるの?」
「分かるよ」
「どうして分かるの?」
「サンタさんはいつも子供たちのことを見てるの。子供たちに見つからないようにね」
「そうなんだ」
「だからサンタさんを信じて、いつも良い子でいるように頑張ってね。そしたらサンタさんが、きっとプレゼントを届けに来てくれるから」
ケンタは戸惑いながらも自分の中でゆっくり考え、整理し、完全に納得した答えを出して首を大きく縦に振る。その時にこぼれたケンタのあどけない笑顔に釣られて、泉もそっと微笑む。するとそこに、「健太!」と大声を上げながら一人の女性が走ってくる。健太がその女性に対し「ママ!」と叫び返したのを見ると、どうやらこの人が健太の母親のようだ。
健太とその母親が並んで泉に深く頭を下げた。そして、二人が手を繋いで歩いていくのを見送った泉。健太との会話で、子供の頃の純粋な気持ちを思い出した泉は、何年か振りにクリスマスプレゼントをサンタにお願いした。





この物語はフィクションです。

戦争

「くそっ!」
隊長はその身を挺して、敵の攻撃から俺を守ってくれた。
「すみません隊長……自分の不注意で……」
「気にするな……。それより、早く負傷者を連れて逃げろ」
「はい!」
仲間が隊長を担ごうと手を伸ばしたが、隊長はそれを制した。
「俺はここで敵を食い止める!だからお前らは先に行け!」
「そんな!隊長を置いて行くなんてできません!」
「隊長命令だ!従え!お前ら、こいつも連れてけ!」
「し、しかし……」
「いいから行け!」
命令に背いてでも、隊長と、そして仲間と共に帰還したかった。しかし、とうとうそれは叶わぬ夢となった。仲間に手を引かれ、隊長を戦地に残して、俺たちは帰還した。
隊長と会うことは、もう二度となかった。
あれからどのくらい時間が過ぎたのか、皆目見当もつかない。毎日が戦争で、毎日誰かが死んでいってる。そういえば、家の向かいに住む家族も、とうとう全滅したらしい。最後まで生き残っていた家主の甥っ子は、何でも、敵の新兵器にやられたと聞いた。その新兵器というのは、冷却ガスを発射する装置で、その冷却ガスを相手に浴びせ、動きが鈍ったところを叩いてくるんだとか。敵の奴らも勝とうと必死らしい。こっちだって負けてはいられない。
と、意気込んではみるものの、やはり、互いに争わずに共存していくのが理想だろう。もうこれ以上、仲間が死ぬ姿を見たくはないし、それに、いつ家族がやられるかもしれない。怖くてたまらない。戦闘の第一線にいる俺がこんなことを言うと、臆病だと言われるだろう。それは、俺がまだ若く、戦場に来て日が浅いからだと言い訳しておこう。誰だって「死」を見るのは怖いし、「死ぬ」のも怖い。でも、戦争に明け暮れる毎日を過ごせばいつかは、死の恐怖に慣れる、いや、死の恐怖に「慣れてしまう」日が来るだろうと、俺は考えている。
以前、娘にこんなことを尋ねられた。
「ねえ、パパ。どうして戦争はなくならないの?」
俺ははあの時、答えられなかった。答えが分からなかったからだ。戦場でも足を引っ張らない程度には動けるようになったし、家族もいっぱいできたし、もう一人前の大人だという自覚はあった。子供の頃は分からなかったが、大人になれば自然とそういうことも理解できるようになると思っていたが……。
あの日から数年経った今、また娘に同じ質問をされた。
「パパ、何で戦争はなくならないのかなぁ?」
俺はまた答えられなかった。
「どうしてだろうなぁ……」
俺は答えが見つからず、下を向いていると、息子がやって来て代わりに娘にこう答えた。
「神様が悪戯してるからだよ。神の奴ら、オレたちが血を流して闘ってるのを見て楽しんでるんだ」
「そんなこと、神様がするわけない!神様はもっとこう……優しい存在だよ!」
「優しい神なら、苦しんでるオレたちをほっとくわけないだろ!」
「それは……」
息子に捲し立てられ、娘はたまらず泣いてしまった。俺は娘をなだめようとするも、なかなか泣き止んではくれなかった。情けない。自分が情けない。
「相手が神じゃ、オレたちじゃどうしようもない。だからせめて、この怒りを敵にぶつけるしかないんだ……」
そう言い残して家を出た息子を、俺は止められなかった。怒りをぶつけても、相手の怒りを買うだけだと息子に言い聞かせても、じゃあどうすればいいと訊かれたら、また黙るしかない。その躊躇いが、息子を制止しようと伸ばした手を遮った。
未だに娘の問いに対する答えを見つけられないでいる。もしかしたら、答えなんてはじめからないのかもしれない。あるいは、この世の全ての生命の数だけ答えがあるのかもしれない。いつになるかは分からない。が、俺は諦めない。必ず答えが見つかる日が来ると信じて、毎日毎日必死で戦って生き抜こうと思う。俺を支えてくれる家族のためにも。
「今回の任務は主に食料の調達だ。そして、敵の新兵器に関する情報収集も行うが、こちらはくれぐれも慎重に実行するように」
「はい!」
「よし。チームごとに配置に就いたら合図を待て。出動!」
新隊長の号令で、一斉に動き始める隊員たち。いつ命を落とすやもしれぬ戦場にこれから赴くというのに、隊員たちの顔に恐怖の色はない。今はまだ落ち着いているだけなのか、それとも、彼らの強い覚悟や決意が恐怖を上回っている表れなのか。
「隊長!総員、配置に就きました!」
「よし。では、これより作戦開始だ。行くぞー!」
「アイアイサー!」
敵地に侵入する以上、任務が戦闘でなくても死ぬ確率はゼロではない。油断はできない。それでも、絶対生きて帰るんだ!

「うわっ、ゴキブリ。マジキモいんだけど」
「どうしたんだい、マイハニー」
「ねえ、ダーリン。あのキモいの殺して」
「また出たのか。任せといて」
「ありがと」





この物語はフィクションです。